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Interview

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“丘の上のまち”の自覚を持て掲載号:2013年10月

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牛尾治朗 ウシオ電機会長/経済同友会特別顧問

 日本青年会議所会頭、第2次臨時行政調査会、いわゆる〝土光臨調〟の専門委員、経済同友会代表幹事、経済財政諮問会議議員などを歴任。財界人として意欲的に発言してきた牛尾治朗氏。政治への影響力も強い牛尾氏に、日本の、そして経営者のあるべき姿を聞いた。

自民党にとっての大功労者は民主党

――牛尾さんは安倍晋三首相と近い関係ですね。
牛尾 私の娘が安倍首相の兄・寛信君と結婚しています。私は、2人のお父さんの晋太郎さんと長かった。30年以上のつき合いでした。彼が外務大臣になったときに、晋三君が神戸製鋼在籍のまま秘書をやっていた。だから寛信君より晋三君のほうを、ずっと昔から知っています。
――娘を政治一家に嫁に出す。躊躇のようなものはありませんでしたか。
牛尾 政治家のところには嫁に出さん、と反対しました。晋太郎さんと寛信君と晋三君と、そこに晋太郎さんの秘書官も1人入って、政治は晋三君が継ぐと。寛信君は政治家が嫌いで最初から三菱商事に入っているのだから、絶対政治家にはならない、だから娘を嫁にくれと言ってきたのです。それで私も賛成しました。
――首相から相談などは。
牛尾 いまは彼の周りにいろんな人がいるからね。それに何より忙しい。直接会って話すというより、最近は電話やメールでのやり取りが多いですね。
――7月の参院選で自民党は大勝しました。
牛尾 幸か不幸か、自民党と対立する政党がありません。政界再編をするなら3年か4年はかかります。ということは、現政権は少なくとも3年はもつ。自民党内の改革派は、嫌気がさしてどんどん減っていくと思うが、内部抗争の結果、分裂に次ぐ分裂という民主党の体たらくを見ているから、自民党は割れない。そういう意味では、民主党政権の崩壊が教訓になっている。自民党にとって最大の功労者は民主党ですよ。
i2――そういえば牛尾さんは松下政経塾の相談役をされていましたね。
牛尾 もう辞めています。最初は副塾長でした。いまも「経営の神様」と呼ばれるパナソニックの創業者・松下幸之助さんは、1979年に松下政経塾を設立しました。その際、松下さんは「自分が塾長をするから、あんたは副塾長をやってくれ」と頼まれた。松下さんはロッキード事件で露呈した政治の腐敗を嘆き、政策論なき政局に踊る政治家に失望し、21世紀の日本をつくる政治家を育てると決意していた。それに対して私は、政治家の地位は自ら勝ち取るもので、育てるなどというヤワなやり方ではだめだと反対しました。
松下さんとは年の差も大きいし、当時ウシオ電機も上場はしていたとはいえ、天下の松下電器とは企業規模がまったく違う。それなのに松下さんは対等に接して、反対論の私に一緒にやってくれと頼む。意見の違う者と組むことで塾の幅を広げようとしたのでしょう。その度量の広さに感服して、以後、政経塾にかかわるようになったのです。
――民主党政権には、その中枢に松下政経塾出身者が多くいました。
牛尾 前首相の野田佳彦君は政経塾の1回生で、松下さんと私で最後の15人の面接をした。そこで5番目くらいに面接したのが野田君でした。面接時間は20分。それまでの4人は、日本の政治どうのこうのと10分間はしゃべりまくるのですが、決してレベルの高い話ではありません。こちらも仕方なく聞いている。そこに野田君がやってきた。野田君は3?4分しゃべっただけで「ところで政経塾はどういうことをするんですか」と聞いてきた。そんなことも知らないで来たのかと少々あきれましたが、自修自得といって自分でテーマを決めて、自分で勉強するというのが基本だと答えたら「それはいい考えですね」と。野田君は、自分のことはちょっとしかしゃべらず、あとは質問してきて、逆に私のほうがしゃべっていました。これは本物だぞと思って、合格にしたのです。
彼が代議士になって、何かの会合のときに、たまたま再会した。私は忘れていたのですが、いま僕がこういうふうになっているのは牛尾さんのおかげだと。牛尾さんに政経塾の面接で通してもらったからだと挨拶されました。なかなかしたたかですよ。前任総理の後始末で、彼自身は成功しなかったけれど、もう一度、出てくるでしょうね。
i3――日本は7月にようやくTPP交渉に正式参加しました。
牛尾 今後の交渉の出来が安倍政権の浮沈を左右するでしょう。TPPは必ず実行しないといけない。確かに現状では、与党内にも反対意見は多いと思います。しかし、21世紀の後半は、世界中が不況になると予想されている。ですから、農業も含めた日本の産業は、グローバルマーケットを軸に未来を考えていかなければならない。そのときにTPPの外にいたのではだめです。2020年までには、TPPは当たり前になっていると思います。
――北海道的には農業がどうなるのか、非常に懸念する人が多い。
牛尾 いずれにせよ、未来永劫いまのような農業の形は無理です。どこかで開かないといけない。コメ以外は仮に2、3年で開いても競争力があるわけだから大丈夫でしょう。問題は人です。若い人がいない。それと経営体。企業家が農業をやれば絶対に儲かります。
コメも同様です。日本の炊飯器で炊いたご飯を食べた中国人が、これまでのコメなんか食えないと。そうやって日本のコメが食べられるようになります。企業は海外でモノをつくっています。農産物も日本の企業が海外でつくればいい。
――日本の農業は長い間、地方の経済や文化を支えてきているという側面があります。破壊されませんか。
牛尾 そういうものを大事に残しながら、かつ世界の流れである開放という中で、農業をどう自立させていくかということですよ。しかし、コメなど、プライスまで政府が決めるというのは間違いです。
――TPPになっても日本の農業は勝てると。
牛尾 〝日本の農業〟という言葉がいけない。食料産業の一環として世界で伸びていくということです。まさに「6次産業」という言葉が出てきていますが、農産物は食料産業の1部門です。加工、流通も含め、もっとトータル的に〝日本の農業〟を考えるべきです。

憲法改正が自民党の立党の精神

――安倍首相は改憲に熱心です。牛尾さんは憲法問題をどうとらえていますか。
牛尾 変えるべきところがあれば変えたらいい。どうしても先入概念があって、改憲といえば9条を変えると決めつけがちですが、60年間同じ憲法で生きられるはずがない。行政組織も60年間同じだから古い体制のまま残っている。統廃合などをおこない現状によりふさわしい形に変えていくことを考えるべきではないか。
憲法改正が自民党の立党の精神です。本来、自民党に投票する人は、憲法改正を是としている人たちのはずです。私も60年間憲法を変えないことのほうが不思議だと思います。まずは96条を改正して、もっと簡単に憲法を変えられるようにしてもいいのではないでしょうか。安倍首相はそれを粛々と進めているだけだと思います。ただ、人それぞれ変えてもらいたいところは違うでしょう。それを上手にまとめるのが政治です。
――いま日本では起業する人が減っているといわれています。
牛尾 私は1996年に、日本で最大のベンチャーキャピタルの会社をつくりました。これまでに500億円、500社くらいに投資していると思います。うち100社くらいは潰れていますよ。大損です。一方で、いい会社もたくさん出ている。ただ昨年までは、上場しても株価がつかない。1株1000円が5000円になってベンチャーキャピタルは成り立つのですが、ここ数年は1000円が800円くらい。でも、やっと昨年12月から上がってきました。今年は、だいたい3倍から5倍の値がついています。これでベンチャーキャピタルは息を吹き返すでしょう。しかし、いまのベンチャービジネスは、お金がないからうまくいっていないというところは、ほとんどないでしょう。企業も国も出す状況ですから。営業能力や開発能力が、まだまだ世界レベルでは低いんですよ。それを他人のせいにしてはいけない。
――自分のせいだと。
牛尾 そうですよ。ウシオ電機もベンチャービジネスです。初めは苦労したよ。どこもお金を貸してくれない。「お前みたいな経営者に、金なんか出せるか」とか、いろんなことを言われました。やはり最初のうちは血の出るような苦労をしないと。おんぶに抱っこで企業が成功すると思っていたらとんでもない。
――いまの若い企業家は覚悟が足りないですか。
牛尾 成功者もたくさんいるでしょう。楽天とか、ユニクロとか。

世界が日本を見ているという自覚を

――社会や業界はどんどん変化しています。
牛尾 この2、3年の変化は、20世紀の10年分くらいに相当すると思います。「よく見ればなずな花咲く垣根かな」という松尾芭蕉の歌があります。垣根の下によく見なければ見過ごしてしまうような小さく可愛らしいなずなの花。それを見る余裕のある目でマーケットの変化を見るのが大事だと、私は自分に言い聞かせています。儲けばかりに走ったら、なずなの花は見えない。芭蕉は何の変哲もない垣根を見ていたら、そこになずなの花が咲いていて、自然は素晴らしいなと思った。そういう感覚が経営者には大事です。
「〝丘の上のまち〟の自覚を持て」という言葉もあります。1961年1月、大統領選挙で勝利したジョン・F・ケネディが就任前の演説で次のように述べまし た。「アメリカは丘の上のまちだ。世界中が混沌と激流の中で、アメリカがどうするかを見ている。われわれが成功することが、世界を幸せにすることだ」と。
この話のもとになっているのは、1630年にイギリスからアメリカにわたってきた清教徒の牧師の説教です。これからこの新天地にまちをつくる。みんなが好奇心を持って見ている。本国の手本となるような理想的なまちをつくろう、模範になるような行動をしようと。牧師はそれを「これから築く新しい共同体は、世界中の目が注がれる丘の上のまちである」と表現したのです。
――日本は世界で〝いの一番〟に少子高齢社会を迎えています。
牛尾 アジアもアメリカもヨーロッパも10年後の自国の姿として日本を見ている。日本はそれに対応する社会福祉をどんどん実行しています。われわれはこういうまちづくりをしている、どうぞ見てくださいと言わないといけない。国の借金がGNPの200%になっても、ここで頑張ろうとしている。地震があればみんなで助け合う美徳が存続している。そんな日本を世界は見ているのです。いまこそ私たちは、国のみならず、地方自治体も企業経営者も〝丘の上のまち〟という自尊心と使命感を持つ必要があると思います。

=ききて/鈴木正紀=