「情報を先取り、タブーに挑戦」を編集方針とし、生活者・企業経営者に
最新かつ有益な情報価値をご提供する、北海道の地域政治・経済誌

ロゴ

トップページ > インタビュー

Interview

このエントリーをはてなブックマークに追加

“フードバレー”を旗印に十勝全体を活性化させる掲載号:2010年7月号

photo

米沢則寿 帯広市長

その差わずか138票。4月18日に行われた帯広市長選は“超”がつくほどの大激戦だった。自民・公明が推薦した上野敏郎氏との事実上の一騎打ちを制したのは「市民党」を掲げた米沢則寿氏。市長就任1カ月半の米沢氏を直撃した。

僅差とはいえ変化の声が多かった

――市長に就任されたのは4月21日。まだ2カ月もたっていませんが、“市長の椅子”には慣れましたか。
米沢 初めての場で、何もわからないところからのスタートですから、毎日新しいことの連続です。新鮮な気持ちでいろんなところとぶつかっています。
――“役所の理論”のようなものに戸惑いは。
米沢 確かにずっと民間にいたので、その感覚からすると“なぜ”という驚きは日々あります。また独特の人間関係もある。こういう人にはこういう気の使い方をするんだなとか。いいか悪いかは別にして、そうしたことの一つひとつがすべて新鮮です。
――今回の市長選はまれに見る接戦でした。結果をどう受け止めましたか。
i2_2 米沢 私にとっては、勝つか負けるかの2つしかありませんでした。その意味では5000票差で勝っても、10票差で勝っても、変わりがありません。
138票という得票差に関していえば、市民のみなさんは、これから自分たちのまちがどの方向に行くべきか迷っていたのだと思います。これまでの市政につ いて、私は変えていくと言いました。別の候補は継続していくと訴えた。その結果があれほどの僅差という形で表れたとすれば、市民の根底にあったのは将来に 対する迷いだったのでしょう。138票差とはいえ私が勝ったということは、変化を望む声のほうが多かったということです。この先、帯広市をどの方向へ、ど うやって成長させていくのかということを、市民のみなさんに、あるいは十勝のみなさんに、わかりやすく理解していただけるように対話することが、当面の私 の仕事だと認識しています。
――しかし、138票差というのは70票動いたらひっくり返るという数字です。
米沢 もちろん、それを重く受け止めていないということではありません。70という人数はちょっとし た部屋に入ってしまって、すぐ名前も覚えられるくらいの数です。その重みというのは私が一番ひしひしと感じている。市民の一人ひとりとの関係が本当に大切 なんだと、あらためて考えさせられました。

私のキャリアが必要とされている

――米沢さんは4年前の市長選にも名前があがりました。前回は辞退し、今回は立候補した。何が変わりましたか。
米沢 いくつかのファクターがあります。1つは時代の変化です。4年前は政権も代わっていなかった。 自民党政権の中でも分権改革、公務員制度改革など、さまざまな改革が叫ばれてきましたが、結局あまり変わらない。そこで昨年8月に政権交代があって、地域 主権の問題などがより一層議論されるように見えました。これで本当に地方は変わるぞと。そのときにこれからの帯広、十勝の行政はすごく面白くなると思いま した。
i2_3  もう1つは、自分自身の変化です。最初に帯広の経済人有志や民主党から声をかけられたときは49歳。現職に対する批判がすごいから、いま出れば勝てると説 得されました。しかし、行政をずっとやってこられた人がいたり、議会でやってきた人がいたり、そこに私が出て何ができるのか。当然、当時の仕事に対する責 任もありましたし、まだ東京でやりたいこともありました。でも一番の理由は、市長という仕事に対する考えが成熟していない中で、私がこの申し入れを受ける ことは、市民のみなさんに申し訳ないという気持ちが大きくて断りました。
――この4年で自身を取り巻く情勢は変わったと。
米沢 正直、私のようなキャリアが必要とされているタイミングではないのかと思いました。中央集権か ら地域主権へというのは1つの流れです。陳情して国からお金をどれだけ取ってこられるかというのが首長の仕事だとすると、そこにコネクションのある人が一 番いいですよね。ところがこれからはそうではなくて、一括交付金で予算をドンと渡すから自分たちでやっていけということになるでしょう。そうなると今まで 行政に携わった人たちはやったことがない。
――米沢さんはずっと民間でしたね。
米沢 石川島播磨重工を7年で退社し、1985年からは中堅・中小企業に投資・成長支援を行うジャフ コで仕事をしてきました。ベンチャー企業の事業計画を書いたり、それを評価したり。まさにこれから挑戦していく企業の成長戦略をともにつくり上げ、そこに 投資する。またジャフコでは十数年経営サイドにいて、上場会社に要求されるディスクロージャー、内部統制、人事体系なども見てきました。いま自治体に要求 される経営というのは、実はそういうことなんじゃないかと思ったときに、時代が私に「やれ」といっているのではないのかと思いました。
私は、市長という肩書がほしかったわけでもないし、名誉がほしかったわけでもない。生きがいを持って仕事にあたれるかなということが決断の要因でした。
生きがいを持てるかということは、自分が何かできると思わなければだめですよね。4年前はそれができると思わなかった。54歳になって1年1年の重さを考えたときに、ここは賭けてみるべきではないかと思いました。

同方向に目を向けてもらうための旗

――現状の帯広市の問題点、課題はどこにあると考えていますか。
米沢 帯広のもっている可能性、ポテンシャルは非常に高いものがあります。ただ非常に経済環境が厳し い中、先ほども言いましたが、目指すべき先が明確になっていなくて、迷っているんじゃないかなという気がした。だから私は立候補したわけですが、市民のみ なさんには、まず自信を持ってもらいたい。自分たちは見方を変えたらすごい場所にいるんだと。その力を結集して、分散させないで目指すべき方向にもってい くことが重要です。
――米沢さんの言う、目指すべき方向とは。
米沢 地方には簡単に解決できない問題がたくさんあります。たとえば高齢化。人口減少もそうでしょう。医療や教育もそうです。でも、こうした問題は1つだけを取り出して解決できるものではありません。総合政策の中の課題として位置づけるべきものです。
いま帯広の総合政策で一番にやらなければならないのは産業政策です。先ほどポテンシャルが高いと言ったのは、産業政策に打って出るための素材が、ほかの 地域に比べ格段に多いということです。その筆頭は農畜産物。「農業があるから十勝は元気だ」とそこでストップしないで、その農業をもっと先鋭化していくた めにはどうしたらいいのか。いまは1番かもしれないが、もっとダントツにするにはどうしたらいいか。そうやって進んでいく農業をベースにして、その周りに どんな産業をつくっていくのか。それを私は「フードバレーとかち」構想として、選挙期間中も訴えてきました。
――具体的には。
米沢 「フードバレーとかち」という言葉は、みんな同じ方向に目を向けてもらうための“旗印”なんで す。真ん中に産業政策を置く。いまや環境を無視した産業振興はできません。環境と産業をきちんとリンクさせた形での政策を実行する。産業が興れば、そこに 人々のライフスタイルがかかわってくる。ここで初めて福祉、教育、医療の充実が図れる。そうしたことが、みなさんから関心を持たれるようになると、おのずと観光がついてくる。
そういう面で総合政策なんですが、「とにかく変わるんだ」という期待感を市民のみなさんに持っていただけるよう進めていかなければならないと思います。 それを荒唐無稽な「帯広に情報通信の基地をつくります」といっても仕方ないですよね。やはり農業、食品周辺です。ただ従来とは少し違った見方ができる舞台 立てにしたいとは思っています。

仕事は先頭にいたほうが断然面白い

――この政策は地域を巻き込んでの取り組みに。
米沢 そうです。だから「フードバレーおびひろ」とは言わなかった。あくまで「フードバレーとかち」です。
フードバレーって何だとよく言われるんですが、たとえばオランダにもフードバレーがある。でも、その物まねをしたからといって成功しないでしょう。アメ リカにもシリコンバレーがあります。やはり他の地域では成功していない。まねをしてもだめなんだと思います。結局、その地域特有の文化や、そこに暮らす人 たちの気質などが、産業と深く関連している。まさにその土地の風土です。実はフードバレーとかちの「フード」には「風土」の意味も込めているんです。
そういうものが1つになって新しいマーケットをつくり出せたときに、結果として「シリコンバレー」とか「オランダ・フードバレー」と呼ばれるようになる んだろうと思います。十勝も今ある資源を使って、十勝でなければできない農業周辺の新しい産業振興、産業集積地をぜひつくりたいと思っています。
――周辺自治体の首長とは、そういう話をされているんですか。
米沢 選挙前から私は十勝管内の首長さんのところへ「今度来るときは市長の名刺で来ますから、まじめに聞いてください」と言って、フードバレー構想を話して回りました。当選後、またすぐ回らせてもらった。
――そのときの反応は。
米沢 よかった、楽しみにしていたんだと、みなさん再会を喜んでくれました。地域間競争と言いますけ ど、それぞれのエリアの中で閉じた形でやっていても、みなさん不安と限界を感じている。できるだけ大きな塊で、役割分担をしながらやっていったほうがい い。フードバレーとかちと言っていますが、十勝だけが一人勝ちしようとは思っていません。
――昨年9月、道の経済政策戦略会議で道経連が提唱した「食のクラスター」とは違うんですか。
米沢 私がもし「食のクラスターとかち」と言ったとしますね。ぜんぜん面白くない。それを聞いた市の 職員は何をするかというと道庁回りを始めます。また道経連回りも始めて、彼らのやっている施策を聞き、その中で十勝でできることを探すでしょう。でも、こ んなつまらない仕事はない。
ところが「帯広の米沢が“フードバレーとかち”とか言って、なんだか初めてのことをやると騒いでいるぞ」となれば、こっちのほうが仕事として絶対に楽しい。それで道の人たちもフードバレーの話を1回聞かせてほしいとこちらに来るわけです。完全にベクトルが変わる。
仕事をするのなら先頭にいたほうが断然面白い。別に食のクラスターと争うつもりはありませんが、常にわれわれのほうが一歩でも半歩でも先に行っていた い。市職員にも市民のみなさんにも、フードバレーで先頭を走っているんだという気概を一緒に持ってもらえたら、いい仕事ができるかなと思っています。

=ききて/鈴木正紀=