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Interview

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“バッジはずしても政治活動は続ける”掲載号:2020年1月

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伊達忠一 前参議院議長

強運の持ち主、といってさしつかえはあるまい。伊達忠一氏、80歳。赤じゅうたんを踏んでからわずか15年で“三権の長”に上り詰めた人は、歴代参議院議長の中には他にいない。秋の叙勲で桐花大綬章の栄誉に輝いた伊達氏にご登場願った。

“国対族”としてめきめき頭角を現す

伊達氏は、道議会議員4期を経て、2001年の参院選に出馬し、初当選。得票は過去最多を塗りかえる98万5274票で、この記録はいまだに破られてはいない。とはいえ、選挙前、当時の内閣支持率は8%にまで落ち込み、誰もが出馬に二の足を踏むような状況。自民党の候補選びも暗礁に乗り上げていた。そんな中、経済界首脳から説得されて、いわば火中の栗を拾う形で出馬したのが伊達氏だった。

ところが01年4月を境に風向きが大きく変わった。「自民党をぶっこわす」という過激なフレーズで小泉純一郎新総理が登場。全国に“小泉旋風”が吹き荒れたからだ。

かくして、前記の通り記録的得票となったものだ。このあたりも伊達氏の運の強さを物語っている。

07年再選。そして13年7月選挙で3選を果たした伊達氏は、参議院自民党の国会対策委員長に就任。国対族として大いに汗をかいた。

国対族はいわば“裏方”で、動きは外から見えにくいが、国会運営の要であり、与野党を超えての顔の広さや、交渉力、調整力など、したたかな根回し能力が求められる。

伊達氏は野党時代から国対の筆頭理事や副委員長を経験し、党内のほかの派閥や、他党の議員とも太いパイプを築いてきた。

特筆すべきは、国対委員長在任中に、参議院での法案成立率98・7%という大記録を打ち立てたことだ。これは戦後3番目というきわめて高い水準で、この記録を作ったのも、国対族として培ってきた人脈、そして伊達氏の“ここ一番の政治勘”のたまもの、といってよいだろう。

国対委員長としての手腕が高く評価されて、14年9月に参議院自民党幹事長に抜てきされた。

折しも1票の格差をめぐる参議院の選挙制度改革を主導するという、困難きわまりない作業が待ち受けていた。伊達氏は「どんな結論に落ち着いても批判を浴びるのは明らかだ。これは天命だ」とハラをくくった。

合区や減員区から批判、罵声を浴びせられながら、最終的に、4県の合区を含む「10増10減」でまとめあげた。こうした“仕事師”ぶりが評価され、16年参院選が終わった直後の8月1日、伊達氏は第31代参議院議長に選任された。

赤じゅうたんを踏んでから、わずか15年目のこと。しかもまだ3期目での就任も異例だった。

なにしろ議長候補なら、当時7期生の山東昭子氏、6期生の中曽根弘文氏、5期生の溝手顕正氏、尾辻秀久氏らベテラン勢がぞろぞろいたからだ。

並み居る大臣経験者を押しのけての大出世だった。

伊達氏は、細田派の“影のオーナー”とされる元総理・森喜朗氏の側近として知られている。こうした人間関係もまた、伊達氏の議長就任を後押ししたことは間違いあるまい。

議長を3年務めあげ、政界を引退した伊達氏だが、バッジをはずしても政治活動は続けてほしい、との周囲の要望にこたえ、東京と札幌に事務所を構えた。

札幌事務所には写真の通り、伊達氏が使っていた立派な「参議院議員 伊達忠一」の卓上ネームプレートが置かれている。東京事務所には「参議院議長 伊達忠一」があるのだそうだ。「北海道の皆様には、長年にわたってご支援をたまわり、感謝の気持ちでいっぱいです」と伊達氏。 以下、伊達氏インタビューである。

皇室会議で驚きのハプニングが…

――参議院議長3年間で、特に忘れられないことは。

伊達 やはり天皇陛下の退位、そして即位の問題ですね。なにしろ202年ぶりのことですから、誰しも経験したことがない。

それを参議院議長として、衆議院の大島理森議長とともに、天皇陛下の退位に向けた「皇室典範特例法」施行で、立法府としての意見をとりまとめる立場に立たせてもらいました。

また、新元号「令和」選考の意見聴取にも加わることができ、この上ない幸せなことでした。

森喜朗元総理からも「われわれは100年やったって、こんなことには出会えない。伊達さんは本当に運のいい男だ」って言われました。

それから、モスクワのロシア上院で演説もしました。日本の参議院議長がロシア上院で演説をするというのは憲政史上初めてのことでした。これも忘れられないことですね。

――退位・即位の日程を論議する皇室会議で、思わぬハプニングがあったそうですね。

伊達 皇室会議は、皇族2人のほか、安倍首相、衆参両議院の議長と副議長、それから最高裁長官、最高裁判事、宮内庁長官の10人で構成され、首相が議長を務めました。

退位・即位の日程について、案は3つほど出ていました。

まず、(18年)12月31日退位・(19年)1月1日即位案は、1月7日が今上陛下ご在任30年の節目であることから、この日は「天皇」としてお迎え頂きたい、という事情がありました。

行政年度の3月31日・4月1日案は、19年4月には4年に一度の統一地方選挙があって、なにかとあわただしい。

それで4月30日退位・5月1日即位がいいという方向になっていったんです。

ところが、皇室会議で、名前は言えませんが、ある御仁が12月31日退位、1月1日即位が望ましいと、ご自身の意見を主張し、みんなびっくりしたんです。

一時は採決も辞さない構えで、結局、休憩をはさんで4月30日・5月1日に了承、決定したのですが、そんなハプニングもあったんですよ。

領土問題は首脳レベルのやりとりで

――ロシア上院で演説をされた、その経緯は。

伊達 2016年12月にプーチン大統領が、山口県・長門市に来て日ロ首脳会談がおこなわれました。

あのとき、少し前に、大使から私に、マトヴィエンコ・ロシア連邦上院議長の一行約20人を招待してもらえないだろうか、という話があったんです。

このマトヴィエンコ議長は女性なんですが、プーチン大統領の右腕だ、といわれている実力者なのです。当時は領土返還ムードが高まっていました。領土問題は私の大きな政治テーマでもあります。

また、海外の要人や国賓をお迎えし、さまざまな国や地域の方々と友好関係を深めることも参議院議長の大事な仕事です。

それで、マトヴィエンコ議長一行を公邸に招待し、歓迎晩餐会も開き、お互いいろんな意見交換をしました。ちょうど北方基金の取り崩し問題が出ていて、そんな論議もしました。

そんなことからすっかり意気投合して、是非とも今度はロシアに招待したいが来てくれるか、という話になり、18年7月にロシア上院で演説をすることになったんです。

――どのような演説をされたのですか。

伊達 日ロ間は戦後70年あまりが過ぎた現在も、平和条約が締結されていない不正常な状態です。

政治に携わる者の責任として、問題を先送りせず、我々の世代で解決する努力をしなければならない。

困難な問題を解決して平和条約を締結し、隣国間の潜在力をさらに開花させるという目的に向かい、互いに努力すべきだ、と強調しました。そして、幅広い分野での日ロ関係の進展を呼びかけると、会場から大きな拍手が沸き起こりまして、大変感激しました。

その後、マトヴィエンコ上院議長、ウォロジン下院議長とそれぞれ会談。

「領土問題を解決するためには、首脳レベルでのやりとりが不可欠。安倍首相とプーチン大統領の信頼関係に基づく、交渉の進展を強く期待している」と言ってきました。

――東京・平河町に事務所を開設されたそうですね。

伊達 参議院議長をやめた人が活動する場がないのはおかしいと、党本部が10月に、「自民党北海道ふるさと振興支部」を作ってくれたんです。私もまだ臨床検査業界の日本衛生検査所協会名誉会長や、政治連盟の会長、医療技術者協議会会長をさせられていますし、党のためにもう少し手伝えということでしょう。

ふるさと振興支部は、いままで衆議院議員で、国務大臣などの要職をやってやめた人などに認められた例はあったんですが、参議院議員では私が初めてということでした。

――東京と北海道を行ったり来たりで、相変わらずお忙しいようですね。

伊達 次々と行事があって、行って帰ってきて、次の日またすぐ行く、といった調子で、今のところ忙しさはあまり変わりません。

できれば、行事の日程を少し寄せてもらって、一週間おきに行ったり来たりできるように切り替えたいと思っています。

――ポスト安倍に向けた動きが激しくなっているようですが、安倍4選は。

伊達 4選論が出ていますし、私もそうなればいいと思います。4選がなければ、菅義偉官房長官とか石破茂といった名前が出てくるのではないでしょうか。

――岸田文雄政調会長は。

伊達 岸田さんは総理とは同期だし、二代目同士で昔から仲がいい。以前、私は岸田さんの後援会づくりのお手伝いをしましたが、当時は慎重すぎて、なかなか総裁選に出ると言わないんです。それに先般の参院選挙では、候補をぶつけられて、岸田派の候補を数名落選させてしまった。宏池会は昔からお公家集団っていわれているけど、岸田さんもそのあたりが弱いと思います。谷垣禎一さんが、ああいうこと(事故)になったのが惜しいですね。   

麻生派の河野太郎や、竹下派の会長代行の茂木敏充とか加藤勝信の名前も出てくると思います。うち(細田派)は下村博文あたりが動くかもしれない。

――最後に鈴木直道知事について。

伊達 夕張市長だけの経験ですが、なかなか堂々とやっていると思いますよ。まだ38歳なのに度胸が据わっていると思います。

これからは経済と1次産業にどれだけ力を入れてやれるかだ。北海道は回りは海で内陸は農業だから、この1次産業をどのように両立させていけるか。そして北海道の景気をしっかりと回復させるべく、ぜひ先頭に立って頑張って頂きたいですね。

=ききて/干場一之=