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Interview

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スポーツで高齢社会のライフスタイルを変える掲載号:2013年8月

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水野泰三 アルペン社長

 「アルペン」「ゴルフ5」「スポーツデポ」の3業態を全国に383店舗展開するスポーツ用品販売チェーンの「アルペン」(本社・名古屋市)。一代で同社を2000億円企業に育てた水野泰三社長に、これからの高齢社会におけるスポーツの重要性を聞いた。

社名の由来は「アルペンリフト」

――6月28日に「ゴルフ5」の函館石川店がオープンしました。
水野 これで北海道の出店は19店になります。ウインタースポーツでスタートし、現在は通年型スポーツ商品を取り扱う中規模店「アルペン」が4店舗、スポーツ用品全般を取り扱う大規模店「スポーツデポ」が6店舗、ゴルフ専門店「ゴルフ5」が今回の出店で9店舗となりました。
――創業が1972年ということで昨年40周年を迎えられましたが、北海道への進出はいつですか。
水野 85年8月に「北海道アルペン」を設立し、その事務所を当時、札幌のススキノにあったビルに借りました。その年の11月、厚別にあった「カウボーイ」に初出店。確か1階が肉屋で2階がアルペンでした。
――そもそもなぜスポーツ店を始められたのですか。
水野 姉がスキーをやっていて、私もスキーを始めるようになりました。小学校6年のころです。親父は銀行員。その銀行の寮が志賀高原にできて、家族でもよくスキーに行きました。
――実家は名古屋ですね。
水野 当時はスキーをやっていたのは少なかったですよ。小中学校でもクラスに1人か2人。
i2――高校、大学もずっとスキーを。
水野 そうです。スキーばかりやっていました。プロスキーヤーになろうかとも思いましたが、現実にはなかなか難しい。でもスキーのほか能がない。それなら売るほうで生計を立てようと思いました。
実家の近くに「シロヤスポーツ商会」という卸があって、そこに2、3年修業をしようと思って入社しました。ところが、そこの連中はスキーもしないのにスキーを売っている。これじゃ長くいてもしょうがないなと思って、1年ですぐに独立しました。独立したといっても15坪の小さな店だったんですが。
――当時からアルペンという社名ですか。
水野 そうです。
――由来は。
水野 会社をつくったら、しばらくはスキーもできないだろうと思い、八方尾根に行きました。そのとき乗っていたリフトを見たら「アルペンリフト」と書いてあった。
――それでアルペン?
水野 これをパクってしまえと(笑)。あまり考えていないんです。
――店は名古屋で。
水野 シロヤスポーツの目と鼻の先のところです。開業資金の300万円は父親から借りました。内装費に150万円、残りを1件だけ入れた問屋に保証金として納め、手持ち資金はほぼゼロ。ただシロヤスポーツは保証金がなくても、いくらでも商品を卸してくれたので、すごく助かりました。あれがなければ、いまはないと思います。
――創業の72年はスキーブームの前ですか。
水野 ちょうど、そのころからでしょうね。
――ブームがくるなという感じは。
水野 先のことなど何も考えていませんでした。とにかく仕入れたものをいかに売るかということだけ。そんな毎日でした。
ところが翌年、店に泥棒が入った。手形300万円を振り出して仕入れたゴルフ用品を丸ごと盗まれてしまいました。3カ月後には手形の決済がきます。資金繰りに困って、とにかく安く売った。当然、同業者などから反発を招き、商品が入ってこなくなった。
――どうしたんですか。
水野 ならば自分でつくれと、韓国に行きました。当時、韓国は製造コストが安かったのです。ただ韓国の製造業者は、スキーウエアなら1型2000着以上でなければ受注しないと言う。男性用、女性用、それぞれ5型は必要なので、合計2万着。それでも発注しました。
今度は売るところを探さないといけない。しかし、お金はありません。保証金や礼金がいらなくて、知名度があって駐車場があるところ。そうだ、シーズンオフの球場だと。難波球場を知らない人はいません。そこをタダみたいな値段で3カ月借りました。
――話題になった。
水野 なりましたね。広告はしましたが、家賃が安いから損益分岐点比率も低かった。前家賃で1カ月100万円。3カ月で300万円。人件費もみんなアルバイト。12億円売りました。
――ほかの球場でも。
水野 最初は難波。味を占めてナゴヤ球場、後楽園球場でもやりました。球場の全国制覇をたくらみましたが、甲子園や日生球場はダメで、断念しました。  結局3球場。1カ所12億円ずつ売って36億円。その資金で自前の店をつくるようになりました。
――そこからチェーン店化を図るんですね。
水野 その前に米国視察に行きました。向こうのスーパーマーケットを見たら、砂漠の真ん中に巨大な店舗がポツンとある。どこから人が来るのかと思ったら、高速道路を使って週末は人がわんさか。砂漠だから家賃は安い。広範囲から客を呼ぶ。これだと思いました。
帰国して、名神高速道路の一宮インターチェンジを降りてすぐの田んぼを借りて、そこにスポーツ店としては全国初の郊外店をつくりました。

今年の「ゴルフ5レディス」は美唄

――最初はスキーの店だったのですか。
水野 そうです。その後、創業から11年の83年、初めてゴルフ5というゴルフの専門店をつくりました。
――スキーの先行きに不安を感じたからですか。
水野 当時はまだまだスキーはブームでした。相模原に結構ゴルフ用品が売れていた150坪の店がありました。それがあるときから急に落ち始めました。何があったのかと見にいったら、目の前にゴルフの専門店が進出。広さは同じ150坪くらい。ただ、売り場としては、向こうは全部ゴルフです。こちらはせいぜい店の2、3割。勝てるわけがありません。帰りの新幹線の中で、ゴルフ専門店をつくると決めました。
そして、東名高速道路の春日井インターチェンジを降りたところに、初めてのゴルフショップをつくりました。市場調査をすると、やはりウエアも必要だと。そこで売り場の半分はウエア、残り半分をいわゆるギア、クラブのような道具類を売る店にしました。これも当時としては珍しかった。
――その当時、ゴルフはやられていましたか。
水野 やっていなかったので始めました。自分のところで売る商品をつかうスポーツですから当然です。勉強もしました。スノーボードなんかも、いまから15年前くらいに出てきたんですが、これもやらなきゃいかんと。うちのインストラクターに教えてもらうのも嫌だから、よそのスキー場に行って、独学で覚えました。最初は胸を打ったりして大変でした。
だからボードを教えるのは得意ですよ。自分で苦労したから。何をしてはいけないとか、こうしたらうまくなるとか、身をもって体験していますからね。
――美唄にゴルフ場を持っていますね。
水野 岐阜県の御嵩町にギアの工場をつくって、ウエア工場をどこかにつくろうと場所を探していました。たまたま美唄市長から工業団地に20万坪の土地があるから出てくれと。見にいくとまっ平らの土地です。当時はバブルの真っ最中。ゴルフ場をつくると50億円くらい余るみたいな話でしたから、市側にある条件をつけたんです。工場を建てても土地は余る。20万坪あると、だいたい36ホールのゴルフ場ができる。それをやるには土地の用途を変えないといけないが、それをやってくれるかと。そうしたら市は全部やってくれました。それで、先に工場をつくり、95年に「アルペンゴルフクラブ美唄コース」をオープンさせました。
――9月6日からは、このコースで女子プロゴルフのトーナメント「ゴルフ5レディス」がおこなわれる。
水野 大会自体は今回で第18回目になります。うち美唄コースでの開催は4回目です。

健康にまつわるものは全部やる

――ほかにもゴルフ場を持たれていますね。
水野 岐阜県瑞浪市に「みずなみカントリー倶楽部」があります。
――スキー場も。
水野 同じく岐阜県の郡上市に「ウイングヒルズ白鳥リゾート」というスキー場を持っています。
――北海道にスキー場を持つ計画は。
水野 いまのところないです。当社は小売業であると同時に、自社で製品をつくるメーカーでもあります。いまや店頭の商品の半分は自社製品です。
自前のスキー場やゴルフ場があると、そこでテストをしたり、お客さまのニーズを知る上でも有益です。
また、モーグルの上村愛子、伊藤みきらは当社の契約選手で、ウイングヒルズでもよく練習します。
――自社製品の製造工場は御嵩になるのですか。
水野 スキーやボードの板、靴、ゴーグル、ゴルフクラブといったものは御嵩の工場で開発しています。ウエアは美唄で生産していたのですが、現在は中国に移転しています。
――海外展開は。
水野 6月8日、中国・上海にゴルフ5とスポーツデポを各1店舗ずつオープンしました。これが海外初進出になります。3年くらい前から中国出店は考えていましたが、ここまで日中関係が悪化するとは思っていませんでした。また、経済発展したことで、ものをつくるには人件費が高くなった。4月、カンボジアに工場をつくり、簡単なものから徐々に技術移転をしていきます。
――こうしてお話を聞いてきますと、水野さんの人生は、いつもスポーツと共にあるという感じです。
水野 私はいま64歳ですが、この年でメディカルチェックを受ければ、どこか悪いところが見つかります。そして、ドクターに「毎日、歩きなさい」とか必ず言われる。でも、夏は暑いし、冬は寒い。なかなか続きません。スポーツクラブに通うといっても近所にあるとは限りません。
これからの人口動態、高齢社会を見据え、当社ではフィットネス施設の展開も始めています。また、電動ウオーキングマシンや、電動自転車をつくったりもしています。
――スポーツ用品から始まって、スキー場やゴルフ場、フィットネスクラブ、さらには健康器具。今後の取り組みは、高齢社会のライフスタイルに変化をもたらしそうな予感がします。
水野 スポーツは人々の生活に深く浸透しています。当社は創業以来、日常生活の中でのスポーツの位置を高め、多くの人々の健康で豊かな生活の実現に貢献することが使命だと考えてきました。これからも健康にまつわるものは、全部やっていこうと思っています。

=ききて/鈴木正紀=