「情報を先取り、タブーに挑戦」を編集方針とし、生活者・企業経営者に
最新かつ有益な情報価値をご提供する、北海道の地域政治・経済誌

ロゴ

トップページ > インタビュー

Interview

このエントリーをはてなブックマークに追加

【異色対談】人はなぜ集うのか掲載号:2020年2月

photo

半崎美子札幌市出身
青栁英樹イオン北海道社長 

「ショッピングモールの歌姫」と称される札幌出身のシンガーソングライター・半崎美子さんと本道有数の小売企業・イオン北海道のトップ。異色の対談は、地元・北海道の魅力だけでなく、eコマースにはないリアル店舗の価値にも話が及んだ。

全国各地のイオンモールでライブ

――半崎さんはこれまで何回ぐらいショッピングモールでミニライブやサイン会を。

半崎 200以上は間違いないのですが、数えてはいないので。リピートで呼んでいただくケースも多く、今年もミニライブを開く旭川のイオンモールは5回目ぐらいになると思います。

先だってイオン同友店会(イオンモールに出店しているテナントで構成される)の総会でも歌わせていただきました。

――シングル曲「母へ」をリリースされた後、イオンモールとのコラボもされました。

半崎 一緒に「お母さんに贈るうた」というキャンペーンをやらせていただきました。お母さんへの思いをみなさんに投稿していただき、歌を作るという企画です。「桔梗の咲く頃」という歌になりました。

ミニライブの時には、思いを書いた手紙を朗読していました。実際に投稿された方がお母さんと一緒に見に来て、サイン会で涙を流されていた場面も……。

その「お母さんに贈るうた」が2019年の「39(サンキュー)ツアー」につながりました。母親に限定するのではなく、家族へ、友人へ、会社の同僚へ……普段は心の中にしまっている感謝を届けるという取り組みです。

先ほど話題に出たイオンモール松本も、39ツアーとしてお邪魔しました。

青栁 確かに面と向かって妻に「ありがとう」と言うのは照れる部分はありますよね。

半崎 それで、こういった機会に、と。ライブ会場で、旦那さんへの感謝のお手紙をちょうど、ご夫婦がいらした時に朗読した機会もありました。私は、ありがとうという感謝の気持ちは人から人へと連鎖していくと思っています。

――ショッピングモールのライブでの出会いから生まれた曲もあります。

半崎 ショッピングモールのライブやサイン会では、たまたま買い物に、たまたまご飯を食べに、といった通りすがりのお客さまも多いんです。偶然、歌を聴いて足を止めて涙する方や、買い物カートを押したまま、サイン会に並ぶお客さまもいらっしゃいます。

そういう稀有な出会いに私自身、すごく感銘を受け、あの方々にまた会いたい。そんな思いを胸にミニライブを続けています。

それから、コンサートホールに足を運ぶのは難しい障がいのある方やご高齢の方、あるいは、小さなお子さんと一緒でも、ショッピングモールのライブなら来やすいと思います。近くのイオンなら行ける、と。

ショッピングモールが持つ空間機能

――そうしたこだわりもあったんですね。

半崎 ライブハウス、コンサートホールは音楽にとって最適の素晴らしい場所ですが、私の歌は日常、生活の営みに根付いた歌。ショピングモールという普段着の空間で歌うことが、自分にはとても大切なんです。

青栁 半崎さんの歌は日常だからこそ心の中に染みいっていくと思います。

私たちも、決して特殊な商品を売っているわけではありません。日常を楽しむ、豊かにする商品を並べ、生活の提案をさせていただいています。

半崎さんが出会いとおっしゃいました。実は、従業員のあの人と話したい、といった理由で来店されるお客さまは少なくありません。

意外に思われるかもしれませんが、ゲーム機が並ぶコーナーは、ご高齢の方の社交の場にもなっています。店舗によっては常連さんの座る場所まで決まっているぐらいです。

ですから、いつもの場所にいつもの人がいないと、「〇〇さんが来ていない。どうしたのかな」と、そんな会話を交わしていらっしゃる。一種のコミュニティです。

フードコートも単なる食事をする機能として設けているわけではなく、人が集まって話をする場の役割を果たしています。

そうした空間としての機能をショッピングモールは持っています。

――モノを売る・買うだけならネットでもできますが、リアル店舗が持つ場の力があると思います。

青栁 例えば、ランドセル売場はお子さんにとって思い出の1つになると思います。

祖父母と一緒に来たお子さんが「この色がいい」と自分で選んで買ってもらったとします。そのことはランドセルというモノ、あの店のあの売場という場所、それぞれと結びついて記憶に刻まれると思います。

半崎 そうですね。幼い頃に買ってもらったモノは、不思議と大人になっても覚えていますよね。

きっとおばあちゃんやおじいちゃんにとっても、お孫さんとの大切な思い出になるでしょうね。

一緒にお店に行って、一緒に選んで、そうした時間そのものが家族の宝物になると思います。

青栁 私たちは商品と売場を通じ、お客さまの人生の節目にいる。そのことを意識していかなければならないと常々、考えています。

――ところで札幌市出身の半崎さんは昨年、さっぽろ応援大使に就任されました。あらためて故郷・北海道について、どう感じていますか。

半崎 上京して20年になりますが、北海道に帰る度、食や自然の魅力を再確認しています。そして人の粘り強さです。

静かな熱というか、底力というか……18年9月に発売した「明日を拓こう」という曲を書いた時、道産子の根っこの部分のエネルギーを、雪の下や土の下で息づく命を表現しました。

――青栁社長は赴任されてから2年半が経ちました。全国各地で勤務された経験がありますが、北海道の印象は。

青栁 食も含めて素晴らしい商品がたくさんあり、ブランド力がとても高い。

私たちはグループのネットワーク力を使い、おいしい道産品を道外にもPRし、各地のイオンのお店で北海道フェアをおこなったり、ベトナムなどの海外でも発信しています。

もちろん地産地消も大切です。イオン北海道では2007年から毎月1回、「イオン道産デー」を続けています。

――半崎さんは2017年から、利尻富士町の観光大使に就いています。

半崎 利尻は母の出身地で、何度か歌う機会があり、お話をちょうだいしました。昨年11月にもうかがい、その時に「町の開基140年を記念して利尻の歌を」とのご依頼を受けました。今年9月頃の発表を予定しています。

青栁 利尻と言えば天童よしみさんに、利尻昆布を渡されていましたね。

半崎 よくご存じで。渡すとみなさん、すごい喜んでいただいて。ですから、利尻昆布を常に準備するようにしています(笑)

痛感した声を受け取ることの大切さ

――昨年9月、半崎さんは胆振東部地震から1年経った被災地での追悼式で歌いました。きっかけは。

半崎 地震が起きた日は、「明日を拓こう」の発売日の翌日でした。苫小牧でのライブは中止になり、私はすぐに実家に帰ったのですが、ラジオで「明日を拓こう」が流れてきて……その瞬間、自分の中で曲の持つ意味が変わりました。

そして被災地のみなさんから「避難所でこの曲を耳にして励まされた」といったお声をたくさんいただき、直接、歌を届けたいと思っていました。地震の前から厚真町の米農家との交流もあり、なおさらです。

そんな中、昨年5月、厚真町の法要で「明日を拓こう」を歌う機会があり、「追悼式でも」とお話をちょうだいしました。むかわ町の高校でも歌いました。

――イオン北海道も、被災地を支援する取り組みをされました。

青栁 地震直後はまず、商品供給に全力を尽くしました。震災当日から店を開け、さらに本州のイオンに11万個のパン・おにぎり・などを要請し、防災協定を結ぶ航空会社の飛行機で翌日から毎日、本州から送られてきました。

ある程度、落ち着いてからは被災地支援にシフトし、その取り組みの1つが生産者に声を届ける活動です。私たちは店頭に設置された「お客さまカード」やアプリを通じ、お客さまと対話を密にしています。そうしたツールを活用し、お客さまから生産者への激励メッセージを届けました。

振り返ってみれば地元企業として、生活を守るインフラ企業として、その役割を果たせたと思っています。

――最後に半崎さんの今後の活動について。

半崎 今年の北海道ツアーについては2月に、いいお知らせができると思います。5月には札幌のキタラでも、オーケストラとのコンサートをします。

今年は上京してから20年。自分自身がいつも意識している1つのことをひたむきに続ける意味、そのかけがえのない価値を歌に込めて届けたい。

さきほど「お客さまカード」を使った対話の話がありました。私も、声を受け取ること、受信することの大切さを痛感して歌が変わっていきました。上京した当初は必死さのあまり「歌を聴いてください」という自分が、先にあったと思います。

これからもショッピングモールでの活動を通じ、みなさんとの対話を続けていきます。

=ききて/野口晋一=