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Interview

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「1期生が古い自民党をぶっ壊す!!」掲載号:2011年1月号

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小泉進次郎・伊東良孝 橘慶一郎・齋藤健 <四志の会>

 自民党の若きスター小泉進次郎氏、北海道の伊東良孝氏、富山の橘慶一郎氏、千葉の齋藤健氏の1期生4人がこのほど「四志の会」を立ち上げた。1期生とはいえいずれ劣らぬパワーの持ち主ばかり。4人による“激烈”座談会をお届けする。

逆風選挙を勝ち上がってきた4人

2009年8月30日の総選挙で自民党は歴史的大敗を喫し、政権を失った。
この逆風の中をはい上がってきた新人はたったの4人しかいなかった(ちなみに民主党の1期生は143人である)
その4人が、北海道7区伊東良孝氏、富山3区橘慶一郎氏、神奈川11区小泉進次郎氏の選挙区で勝ち上がった3人と、千葉7区で敗れたものの比例南関東ブロックで復活当選した齋藤健氏だ。
小泉氏はコロンビア大学大学院。親譲りの政治センスで、早くも自民党のスターになっていることは周知。
橘氏は東大法、ケンブリッジ大学大学院。北海道開発庁を経て高岡市長となり、赤じゅうたんを踏んだ。父、祖父、曾祖父と4代にわたる政治家一家である。
齋藤氏は東大経、通産省に入り、ハーバード大学大学院に留学。
伊東氏は道教育大。釧路市議、道議、釧路市長と、政治・行政経験は十分だ。
当選してから1年余。
かねがね「4人で勉強会をやり、いろんな活動をしたい」と語り合っており、このほど「四志の会」を立ち上げた。
11月24日、その第1回目の勉強会の後、「どうする自民党」をテーマに熱く語り合ってもらった。
◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

――小泉さんはこんなに有名になって、息を抜く場所がありませんね。
小泉 そうですね。全国どこへ行っても気づかれてしまいますからね。それとみなさんと違うのは、家に帰っても優しくほほ笑んでくれる方が待っていない。(笑い)
――全国から女性の写真がたくさんくる。
小泉 いやいや、僕にくる写真は選挙のポスターに使わせて下さいという話ばかりです。(笑い)
――みなさんこの世界に入るきっかけ、動機を。まず一番若い小泉さんから。
小泉 やはり父の存在が大きいですね。小さいころから政治家小泉純一郎が近くにいて、無意識、意識両方の部分で政治に対する距離が近かった。その中で大学生になり、父が総理になったあの2001年の総裁選を実際に手伝ったんですが、あのすさまじい人のエネルギーですよね。
家族すら誰もが父が総理になるとは信じていなかった。総裁選は3回目でしたから、ああまた負けると。
それがあの国民の熱気で押し上げてもらった。あの国民の力、人々の力というものをまざまざと見せてもらって、しかもそれが父だったということは自分の原体験として大きい。
私の中で、自分が一生涯かけてほかのことを犠牲にしてでも、やりがいをもって取り組めるのは、やっぱり政治家として日本の国づくりのために参加したいと。大学生のときに、できることなら後を継ぎたいと自分のほうから言いました。
――お父さんは。
小泉 ひと言。やっぱりワンフレーズです。(笑い)そうか、じゃあしっかり勉強して努力しないとだめだぞと。

「遊就館」の特攻隊員の遺書に涙

――橘さんも小泉さんと同じ4代にわたる政治家の家系ですが。
橘 私の場合はどちらかというと反面教師というか、できれば継ぎたくないという気持ちが強かったですね。

それで役人になったのですが、そのうちに高岡市で市長になるきっかけがありました。当時高岡市でいろんな問題があって、市議会議員さんがまとまって「お前、どうだ」というのでお引き受けしたんですね。
そして市長5年目のときに、自民党県連から猛烈な出馬要請があって衆議院選に挑んだわけです。
大きな課題がたくさんありますが、せっかくやる以上は何か1つぐらいは、橘がいたからこういう問題が解決したね、といわれるようになりたいですね。
齋藤 私の実家は政治と全然関係がない零細企業ですし、お金もなかった。
ひと言でいうと、見ちゃったんですね。
23年間役人生活をやって、大臣秘書官をやらせてもらい、地方の勤務をさせてもらい、その中でこのままではこの国は危ういということが見えちゃったんです。見えちゃった以上、もうやるしかないと。それで落下傘で、ゼロどころかマイナスから挑戦し、3年4カ月浪人もして歯を食いしばってやってきました。
――見ちゃった中身は。
齋藤 この国のかかえている課題の大きさは、いままでの先輩たちのかかえていた課題の比ではない。それに対していまの政治家はどうなのかと。
橘さんと同じで、その中で1つでも2つでも自分がやれることがあったら、それでいいということです。
i4――伊東さんは大学を出てすぐこの世界へ入った。
伊東 そうです。アルバイト先で、中川一郎先生の青年部をつくろうというメンバーに誘われて、中川先生の4回目の選挙をボランティアで手伝いました。
そのとき東京で中川先生に初めて会って、国の将来を憂い郷土を思う熱き心に打たれましてね。
次の日、お前たち靖国神社へ行ってちゃんとお参りをしてこいと。お参りをして、その横の遊就館を見学したとき、ものすごい数の特攻隊の写真と遺書があった。国を思い、父、母を思い、弟、妹を思って飛び立っていった若い人たちの何百通という遺書を読んで涙が止まらなかった。
その時、この人たちはあの世から今の日本を見ていてどんな思いだろうと。昭和47年、オイルショックの前で、退廃的な世相をみて、こんな国を残すために俺たちは死んだんじゃないという声が聞こえてくるようで仕方がなかった。前の日に中川先生と会った感情の高ぶりもあって、政治の世界で頑張りたいと。

僕も齋藤先生と同じで、父親は1人でしがない中古車屋をやっていて、会社をパンクさせて肺がんで亡くなったので、それこそ何もなかったけれど、若いころから政治活動を続け、36歳で市議になったんです。
道議も市長も、前任者が離党とか選挙違反でいなくなって、任期の途中で自然と道が開けた。かきわけて押しのけて出たい出たいなんて言ってたわけじゃない。
衆議院選挙のときも、本当は釧路市が合併をやって3年のときで、責任があるのでそのまま市長をやっているつもりだったんですが、武部勤先生と中川昭一先生に挟まれて、出ろと。
齋藤 あの強烈な2人から言われたら…(笑い)
伊東 もちろん、僕自身、遊就館の前で誓った思いはずっとありましたからね。

自民党は限りなく変わらなければ…

――民主党政権が迷走し、支持率も急落しているが、自民党の支持率も上がらない。自民党は変わったという強いメッセージが国民に届いていない。
小泉 僕は自民党が野党の間にやるべきことが2つあると考えています。
1つはウミを出し切ること。自分たちが与党でいたときのいろんなウミを徹底的にさらけ出す。そうでないとまた与党になったときに、結局自民党だめじゃないかという声が大きくなって行き詰まる。
2つ目は、変えられるものは限りなく変えると。野党になって変えられないものが与党になってどうやって変えるのか。
いま自民党が、もしかしたら政権交代できるかもしれないという雰囲気があるからこそ、ウミを出す速度と、変わるという変化の激しさをもっと出さないといけないと考えています。
――ウミというのは。
小泉 例えば羽田の国際化。あのニュースを見たとき僕は、何で自民党にできなかったのかと。そこである大臣経験者の自民党の先輩に聞いたんです。
「いやあ小泉君ね、そうなんだよ。ひと言でいうと成田のしがらみ、それに尽きるよ」という本音が出てきた。成田闘争を乗り越えてようやく今の成田の姿をつくった自民党が、たとえ羽田という便利なところがあっても、さすがにそれはできないと。
でも、それは国民からしたら関係ない。僕はそういうことも自民党が乗り越えなければいけないことじゃないかと。
i5伊東 僕は、衆議院選挙で負けてみて、この間の参議院選挙をやって、自民党が長年おつきあいしてきた諸団体、応援してくれると思っていた業界が全然そうじゃなかった。
どこを訪ねても横を向かれ、居留守を使われたということもあった。何十年も仲間だ、友達だ、親戚だと思っていたものが手のひらを返したような態度だった。参議院選挙でちょっと復調すると、最近は言い寄ってくる感じもある。
この人たちにしばられ、この人たちのために無理を聞いて、この人たちのために自民党がやってきて批判を浴びていたとすると、僕は政権交代したら、そういう言いなりのようなことで政策を遂行してはならないと。自民党が業界、団体あたりと必要以上に接近して、そこの言いなりになるというのはもうだめですね。
やっぱり軸足を国民の側、日本の将来のためにおかないとだめだ。そういう意味では自民党もものすごく変わりつつあります。

齋藤 私は逆にいまはチャンスだと思う。人事1つとっても野党だから思い切って若手にやらせる冒険ができる。その中で使える人、使えない人を見きわめればいい。いままでの年功序列を変えるきっかけになる。
政策だってじっくり腰をすえてやれる。役人が手伝わなくなったから自分でやらなければならない。そうすると役人のやっていた上に乗っかって実は何も考えていなかった人と、本気で考えていた人の差がはっきりして、淘汰されてくる。
小泉さんが言うように、ウミを出し切って自民党の中で年功序列をこわして、派閥をこわして、人物本位の党にしていくのであれば、少し野党が長い方がいいかもしれない。

国のために何をするかという覚悟を

――派閥は悪ですか。
齋藤 僕らは入っていない。入っているのは伊東さんだけですよね。
伊東 僕も全然そんな意識はないんです。派閥の存在意義、意味は非常に薄いと思う。僕は志帥会ですが、選挙のときどこの派閥からも応援してもらっていなかった。そうしたら選挙の2カ月前ぐらいに中川義雄先生から、「志帥会は中川昭一が会長代行だし、うちで応援してもいいんだぞ」というのでお願いしたんです。
中川一郎先生以来の中川昭一先生、中川義雄先生との関係がありましたからね。昭一先生がやがて会長になれば、一郎先生の時代から世話になっていた僕としては何らかの恩返しもできるかなという思いでした。ところが昭一先生は落選してしまうし、義雄先生はよその党にいってしまった。
小泉 最近、僕は自民党が相変わらずセンスが悪いと思ったのは、産経新聞に出ていたんですが、派閥を、若手や落選議員の「育成の拠点」と位置づける方針を出したことです。派閥を「育成の拠点」とするなんてバカなことをいっている。
齋藤 総裁が言ったの?
小泉 誰かわからないけれど。僕は派閥は必ずしも悪とは思わない。人から見たら僕ら4人が集まって勉強会をやってることが、新人が派閥をつくっていると見るかもしれない。
派閥はなぜあるのかといったら、自分たちが尊敬してこの人を支えて総理にしようということで、そういう派閥だったら健全だと思う。党内に、なんとかこの人を総理大臣にしたいと思う人がいたら、身を粉にして支えたいと思いますよ。
でも、いまの派閥をみてると僕にはそうは見えない。

i6齋藤 この人じゃなければという人がいない。(笑い)
小泉 そんなこと言えないけれど…(笑い)
橘 さきほどの支持率の話に戻りますが、僕は支持率というのは戻るときには最後にパッと戻るような気がしている。選挙というのはそういうところがあって、ずっと低空飛行していて最後はポンと上がるのかなという気がしています。
ただその時に、いまの与党がある意味反面教師とすれば、いまは自分で落ちていく自滅型なんですね。自分で問題を起こして自分で沈没していく。
それを裏返ししてみたら、やっぱり国のために何をするかという覚悟。いま国が何を求められていて、どうしてもやらなければならないことは何かという覚悟をしっかり決めておかなければならないと思います。
財政再建も待ったなしに近づいている。普天間の問題だってほっとけない。そういう問題から逃げずに解決していかないと前に進みません。そういう腹をくくる人が必要です。

自民党よりも日本どうするかだ

齋藤 全く同感です。よく与党は実績を語り、野党はビジョンを語るといわれる。われわれは、じゃあ自民党をどうするんですかという質問を受けるが、いま日本がおかしくなりつつある。自民党をどうするかではなく、日本をどうするかなんですね。
経済も社会保障も、財政も教育も日米安保もおかしくなってきた。官僚もおかしくなってきた。
これを、しがらみがなくなったんだから、ゼロから深く考えて政策に落とし込んで、その実現に体を張っていけば、結果として自民党が変わり、支持も戻ると思いますね。
与党の足引っ張りに時間とエネルギーをかけるより、将来こうするということを次の選挙で語れる政党になるべきだ。
小泉 僕も齋藤先生と全く同感で、自民党の発展とか民主党の発展とかは国民の眼中にはないですよ。
あるのは日本の発展だけです。それでは、あなたたちは何で自民党にいるのかといわれると、自民党が目指す国づくりの根幹にあるのが自助自立だと。
まず自助があって、その上に共助があって、その上に公助があると。この国づくりは今後も変わらない。
特に大切なのは自助で、自助自立の精神のない国に発展はない。この精神を党の綱領でも党是として持っているのが自民党です。
齋藤 民主党の足引っ張りには成功していますが、自民党が浮上しているかというと成功していない。
誰かが「ダメくらべ」といっていたが、民主党がダメダメだから、ダメだけど自民党を選ぶというんじゃなく、いいから選ばれるような自民党にしていくには今のやり方では不十分だ。
伊東 いまの自民党の中には昔のイメージというか、対決が全てという人もいますからね。僕ら党内論議をいろいろ聞いていて、ちょっと違和感を感じることがあります。
齋藤 だからこの4人で勉強会を始めたんです。
i7――国会議員になって1年余。驚いたこともたくさんあるでしょうね。
伊東 僕は市議会、道議会が長かったから、この国会運営のいいかげんさ、でたらめさ、だらしなさには本当に驚きましたね。
夜になるまであしたの日程もわからないということはしょっちゅうあるし、ひどいときは当日にならなければわからないこともある。予定も計画も何も立たない。国会の間は。
小泉 国会の常識は世間の非常識なんです。国民が求めるものと国会の慣習というものがもう時代に合っていない。議運の手続きだとか、国民に伝わらない国会の中の動きをみていると、もう国会というシステムが時代遅れだ。
齋藤 説明不能だよね。
橘 政権が戻ったらガラッと変えてしまえばいい。
小泉 そういえば伊東先生の発言にはびっくりもし、感心もしました。
本会議開会前に必ず議会運営委員会をやるんです。いわばセレモニーの場だから基本的には手はあげない。発言する場合は理事に報告しておくんです。
前回の国会で、さんざん民主党の都合で、開会時間を1日に3度も4度も遅らせて、結果9時間遅れで議運が開会されたときがあった。夜中の国会です。
その時、委員長がきて淡々と議運委員会を始めたら、伊東先生が突然手を上げて、「おかしいじゃないか。こっちはみんな待っているんだ。そっちの都合で何時間も遅れて、ひと言の謝罪があってしかるべきじゃないか」と、サプライズでやってくれたんですよね。
齋藤 あったね。
小泉 あれは本当に筋が通っていてかっこよかった。自民党の先輩理事もびっくりしていました。
伊東 私も市議会、道議会ずっとやってきて、常識的には委員長が、長い間お待たせして申し訳ありませんと。そこから始まらなければおかしいと思った。
小泉 もう一つびっくりしたことは、民主党政権の失速の早さですね。本当にびっくりした。
1年前、民主党政権が発足して、鳩山さんが本会議で所信表明をやったときの民主党席の高揚感。こっちは何も言えない、もうなにかうつむいて肩身がせまい、そんな雰囲気がガラッと変わっちゃった。
しばらくは忍耐しなければと思っていたら、1年もたたないうちに国民の期待が失望に変わってしまった。
――本日はお忙しいところありがとうございました。

=ききて/進行干場一之=