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2021年

「紙、デジタル、リアル。届くメディアを追求したい」宮口宏夫北海道新聞社社長の語る展望

宮口宏夫 北海道新聞社社長

 北海道新聞社の新社長に意気込みを聞いた。業界を取り巻く環境が厳しさを増す中、紙とデジタル媒体のあり方などについてどう考えているのか。現社屋の活用方法、東京五輪のマラソン運営など、業界関係者が気になる質問にも答えた。

©財界さっぽろ

部数減自体を悲観すべきではない

 ――社長就任から3週間が経過しました。

 宮口 広瀬(兼三)前社長から「就任したら、生活が一変する」と言われましたが、その忙しさを実感しています。挨拶まわりの合間に、書類を見たり、切れ目なく仕事をしています。

 ――広瀬会長から後任を打診されたのはいつごろですか。

 宮口 紙面で社長内定を報じたのが4月20日でした。それよりそんな昔ではありません。「頼む」というような話を頂戴したと記憶しています。

 ――新聞記者を志した理由は。

 宮口 大学時代、社会とかかわる仕事がしたいと考えていました。そうした中で、貧乏学生でしたから、北大周辺の古本屋によく通っていました。僕らの5年、10年前の先輩たちが愛読した本が並んでいるわけです。

 その中に、海外の方を含め、新聞記者やジャーナリストが書いた本がたくさんありました。そういう本を読んで、新聞社での仕事に興味を持ちました。

 ――入社後はどういった部署を。

 宮口 いろいろな部署に配属になりました。経済記者だったと紹介されたりもしますけど、そういうわけでもないんです。

 入社後は1年間、校閲部にいて、外勤の初任地が遠軽支局でした。その後、帯広支社に配属され、30歳で本社の外勤になりました。そのときの所属が経済部でした。4、5年後に東京支社で政治を担当しました。

 その後、外国に行き、帰国後は報道本部(現・報道センター)で遊軍みたいなことをしていました。整理も論説委員も経験しました。

 ――印象に残っていることは。

 宮口 今でも思い出すのが、サロマ湖の夕日です。外勤の初任地だった遠軽支局は、佐呂間町、湧別町などの周辺7自治体を管轄します。当時、地方版の頭記事をはじめ、1日3本の記事を書くというのがノルマのようなものでした。

 でも、新人でしたから、ネタ元もなく、文章もうまく書けない。一日中取材して周るんですけど、結局、何もない。

 マイカーで支局に帰るんですけど、ちょうど、サロマ湖の夕日が落ちる時間で、それを見ながら「今日も何もなかった……」と。思い出すのはそんなことです。

 ――これまで営業部署や支社長ポストの経験はありません。そういった面での不安は。

 宮口 正直に話すと、経験がないので、不安もないというか。自信があるという意味ではありませんよ。誤解を与えたくはないんですけど、もともと考えてもしょうがないことは気にしない性格なんですよね。

 いまは営業担当者らと、まだ札幌圏のみですが、行ける範囲で挨拶まわりに伺っているので、自分自身としては心配ないかなと感じています。

 支えていただいている販売所に関しても社長就任後、会合を設けて、札幌圏の方々とはお会いさせていただきました。それ以外の方々に対しては、オンラインで配信させていただきました。

 9月からは全道に挨拶まわりに伺う予定です。その際には販売所の方々のお目にかかる機会もあると思います。

 ――新聞業界は取り巻く環境が厳しい。

 宮口 確かにそうだと思います。とくに北海道は人口減少が顕著です。その影響などもあり、当社も読者は減っています。広告もかつてよりも減っているのは事実です。

 道新では2002年ごろの朝刊125万部が部数のピークでした。今は90万部を少し切っています。

 数字だけをみると、大変な減り方ですが、道民520万人のうち、それだけ朝刊を毎日定期購読、今で言うと、サブスクリプションで読んでいただいているというわけです。

 これをどう捉えるか。いい時代と比べると、売り上げは落ちているかもしれませんが、今の社会情勢などから考えると、部数自体は悲観する数字ではありません。

 いま持っている経営資産などを正しく評価すれば、まだまだやれるはずです。そういった部分を最大限生かして、次の時代に向かっていくことが肝心だと考えています。なくなったものを嘆いていても、前には進めません。

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現社屋の再開発を収益の1つの柱に

 ――社長として取り組んでいくことは。

 宮口 道民に届けるツールを紙だけではなく、いろいろと増やしていくことが大事です。スローガン的に言うと、「届くメディアを追求したい」。

 これまでは、紙に印刷して届けてきましたが、もし、その数が減るならば、ほかの手段でお届けする。全体的に北海道にお住まいの方にきちんと情報が届く。そういうメディアになりたい。「紙とデジタルとリアル」。3本柱で取り組みたいと考えています。デジタルは経営面の課題として、より腰を据えて向き合っていきます。

 広瀬時代に、いろいろな部署から人を集め、デジタル推進本部を立ち上げました。この部署を司令塔にして、デジタル資産を活用していく。編集、販売、広告・営業など、すべての部署とつながっているイメージです。

 デジタル商品には、解約しやすい、されやすいという特性があります。そこをつなぎとめるには、さまざまなルートでコミュニケーションを保ち続けることが大切。例えば、記者の話を聞きたい方には、記者がニュースを解説する場に来ていただき、さらに、その様子を動画で配信したり、紙面に掲載したりすることもできる。紙とデジタルとリアルの組み合わせです。

 私たちの強みは、北海道全域と東京、海外を結ぶネットワークを通じて情報を集めて、分析し、発信することにあります。その出口をきちっと増やして、私たちが作ったコンテンツ、記事、情報が多くの方に届く仕組みを整えたい。そうした発想の下で、デジタル推進本部の機能を少しずつ大きくしています。

 デジタル分野はスピード勝負です。デジタル商品のもう一つの特性に、試してうまくいかなければ、すぐにやめることができるという性質があります。とにかくたくさんタマを投げればいいというわけではありませんが、失敗を恐れず、トライアル・アンド・エラーでやっていきます。

 ――計画が進む社屋問題については。

 宮口 新社屋については、昨年、移転地(札幌市中央区の大通東4丁目)を決め、いまは更地になっています。担当の不動産開発室が数年間かけて取り組んでいます。

 順調にいけば、来年の夏前後に新社屋が着工予定です。24年の夏前後の建物完成を目指し、本社機能を移転させることができればと考えています。

 新社屋が完成したら、現社屋の活用方法ということになります。北1条館と大通館の2つの建物をどう再開発していくか。大通と時計台に面しており、人様によく言われるんですが、我々としても札幌の一等地だと考えています。

 諸先輩方から受け継いだ、極めて優良な資産ですから、会社の収益に貢献するものにしていきたい。道新の経営を長期的に安定させる1つの柱になると捉えています。エネルギーをかけて、知恵を絞って、取り組んでいきます。

 ――青写真は。

 宮口 それは本当にこれからです。今、まだ新社屋に力を注いでいまして。そろそろ本格的に検討していかなくてはならないとは思っています。

 ただ、コロナ禍もあり、以前とはだいぶ違う“風景”になっています。

 30年度には北海道新幹線の札幌延伸が実現予定です。中長期的に、札幌がどういう町に変わっていくのか。国内外含めてビジネスも観光もどういった方々が札幌にお越しになるのか。

 そういったことを見据えながら、収益の効果を最大限にするために、あらゆる角度から検討を加え、建物の“最適解”を求めていきます。

 ――グループ会社との関係性をどのように考えていますか。

 宮口 新聞の発行事業にかかわるグループ会社は近年、収益などへの影響があります。グループ全体のガバナンスをもう少し強化しなくてはならないのではないかと考えています。

 経営課題や将来像など、さまざまな情報をより共有していきます。どういうあり方が、本社とグループ会社双方の持続可能性につながるのかを見いだすために、きちんと議論していきたいと思っています。

 ――道スポのデジタル化への議論も進んでいます。

 宮口 数年内の実現に向けて、鋭意、準備を進めています。

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「あってよかった」新聞でありたい

 ――吉田晃敏学長の解任騒動をめぐって、旭川医科大学で取材中の道新記者が6月22日、建造物侵入容疑で逮捕されました。

 宮口 翌日の紙面では、逮捕された経緯などについて確認し、読者の皆さまにあらためて説明させていただきます、と掲載しました。

 その後、紙面を通じて、読者に説明させていただきました。それが当社の回答になります。

 ――東京五輪が今夏、開催予定です。マラソン、競歩は札幌で実施され、道新も裏方として運営に携わります。

 宮口 競技運営を受託させていただいている立ち場としては、与えられた仕事を誠実にやり遂げることが大事だと考えています。

 コロナ禍で、当初は想定していなかったことも起こっています。市民の方々が不安を感じているのは、ある意味、当然のことだと思います。組織委員会からの方針に従って、きちんと運営していきます。

 ――来年の創刊80周年に向けて。

 宮口 まず1つは新社屋の着工になります。デジタル分野では、力のこもった新商品を発売します。

 周年事業は実施しない方針ですが、北海道新聞を愛読し、支えてくださっている読者、道民のみなさんに、「これからも北海道新聞があっていい」「ないと困る」と言っていただける会社でありたいですし、そのように考えているということを読者、道民のみなさんにお伝えしたい。方法を工夫します。


……この続きは本誌財界さっぽろ2021年8月号でお楽しみください。
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(みやぐち・ひろお)1958年3月22日、旭川市生まれ。北海道大学法学部卒。81年に北海道新聞社入社。取締役編集局長、取締役経営企画局長、常務取締役などを経て、2021年6月から現職。