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Interview

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日本農業は未熟な耕作技術を宣伝力・演出力で粉飾するハリボテだ掲載号:2011年11月

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神門善久 明治学院大学教授

 数々の著作で挑発的な問題提起を繰り返す農業経済学者の神門善久明治学院大学教授。あまりの過激さに発信機会が減るのも覚悟のうえ。それでも日本農業の危うさを訴え続ける。いま日本の食と農はどんな状態にあるのか。

発展と消沈の可能性ある北海道農業

――神門さんは『日本の食と農―危機の本質』でサントリー学芸賞、日経BP・BizTech図書賞を受賞され一躍〝もの言う学者〟として脚光を浴びました。ほかの人が思っているけど口に出さないこと、すなわち〝それを言っちゃおしまいよ〟の部分をあえて言う。トラブルメーカーを自認されているとか。
神門 つい70年ほど前「皇軍がアジア各地で熱烈に歓迎されている」という類の情報がマスコミや研究者によって流布されていました。政府の統制があったから仕方なかったという人もいるかもしれませんが、「不快な事実は知らないことにしてしまおう」的な大衆の心理があった可能性は否定できません。私は「過去の悲惨な歴史に学ぶ」という言葉の意味を、いま一度、吟味する必要があると思います。ともすると、この言葉を「二度と戦争をしない」という意味に限定して使ってしまいがちです。しかし、本当に学ぶべきことは、マスコミや研究者が大衆迎合して間違った情報を流布し、大衆がそれに歓迎する可能性があるということではないでしょうか。自由であるはずの今日の日本においても、大衆は不愉快な正論を抹殺しようとします。やはり背景にはマスコミと研究者の事実をねじ曲げた論陣がある。私は『日本の食と農』でそのメカニズムを示そうと思いました。
――食と農という身近な話題であるがゆえに、読者に対し「自分は当事者でないからよくわからない」という言い訳を許さない迫力がありました。
神門 でも、この本の動機は社会批判ではありません。真実から目をそむけずにじっと見ていれば、必ず解決策があるということを訴えているだけです。
――神門さんはこれまで、新聞や雑誌などにも多数執筆し、テレビやラジオの出演もあります。各地で講演などにも呼ばれていると思いますが、農業関係者の反応はどうなんですか。
神門 無反応です。もともと私に発言の機会は多くないのですが、まれにそういう機会があっても「そうですか、その話は終わりにして、別の話題にしましょう」という対応です(笑)。問題の核心を議論すると面倒なので、肯定も否定もしない。ただちに話題から外す。そして、スローガン的なお気楽な議論に興じる。
農業関係者だけではありません。財界の講演でも、私が話をすると雰囲気が険悪になる。いま財界は農業シンパが多いこともあるのか、会場は〝農業で夢物語〟というムードになりきっているんです。食料自給率の引き上げ、植物工場、農商工連携等々、その手の話を聞きたくて仕方がない。でも私は全然違うことしゃべる。こちらは研究者。媚を売るより真実への畏怖こそが大事ですから。
――北海道農業の現状をどのように見ていますか。
神門 実際のところ3・11以降、本州とくに東日本の農業は非常に苦しい。北海道の比重は相当高まると考えないといけません。  ここ数年、北海道を見ていてつくづく感じるのは、発展する可能性と消沈する可能性と両方あるということです。残念ですが、私は消沈に向かう可能性のほうが高いと思う。消沈というのは〝ハリボテ化〟するということです。すなわち、うわべは繁栄しているように見えるが、中身がない。
以前「むかしは満州、いまは農業」という論文を書いたことがあります。1930年代、満州ブームが盛り上がりました。「満州は日本の生命線だ、これから栄える、みんなで行こう」と。でも実際の満州はどんどんおかしな方向に行っていて、最終的に移民した人たちは悲惨な目にあう。それと同じことが起こりかねないと思っています。農業ブームの中で、見かけ上は華やかになって成長産業だとほめはやす。安易にブームに乗った農業者は、やはり悲惨な目にあう。本州でも起こり得るし、北海道でも起こり得る。非常に心配です。
――農業ブームの危うさはどこにあると。
神門 「川上」「川下」という言い方をしますが、その両方がおかしくなっていると感じます。
まず「川上」の問題。農地利用がデタラメです。最近、日本では「土地をどう使おうと個人の勝手」という風潮があります。これは都市部だけでなく、農村でも同様です。日本の農政は管理体制に根本的な不備があります。本州では、どこにどういう農地があって、誰が耕作者なのかといった基本的な情報さえ、管轄市町村は把握できていません。
この行政の不備を肩代わりしてきたのがJA。しかし、JAの屋台骨である農林中金は金融自由化で収益が悪化。さらに選挙制度の変更などにより、票田としてのJAの結束力はすっかり弱体化。政治力も低下し、個々の農家はJAのいうことを聞かなくなりつつあります。
――JAの監視が利かなくなった結果、農地利用の無秩序化も顕著になってきたと。
神門 その側面は大きいと思います。いまや地権者の〝勝手気まま〟が農業の最大の障害になっています。農業というのは、一角でおかしなことやられたら、近隣の農家もダメになる。優秀な農家をつぶすのは簡単 です。その隣で耕作放棄をすればいい。たとえば、本州で頭を悩ますのがカメムシです。農薬をまかれると羽があるから耕作放棄地に逃げる。でも近くにいるか らまたすぐ戻る。結局、何をやってもムダになる。
i2――ほかにも弊害はありますか。
神門 土づくりをしなくなります。耕作技術の8割は土づくり。いま、その技術が落ちている。その結果、何が起こるか。これは昨年実際に起こったことですが、北海道ではジャガイモの空洞化。本州ではイネの倒伏の多発。この2つとも、いかに技術がマニュアル化し、単調になってしまったかを物語っています。種苗メーカーや農薬メーカーなどのマニュアルを見ながら農業やっていて、きちんと土を見ていない。

いい土づくりしても報われない農家

――農薬や化学肥料が大量に使われている現状を見れば、すでに土は死んでいるのではないかと思います。
神門 農産物は食用の動植物です。健康的に育てればいい。もちろん、病気にかからないに越したことはありませんが、健康に育っていく過程で、小さな病気にかかることもあり得ます。人間だってケガや病気をする。そのときに医者にかかるのは当たり前じゃないですか。だから農薬や化学肥料を否定する気はありません。要は農家が土を見ずにマニュアルを見て農業をすることに問題があるのです。
農業は〝下手くそ〟のほうが量をとったりします。動植物ですから費用とエネルギーをかければ、それなりに育ちます。そういう〝下手くそ〟の耕作は自然環境を破壊し、収穫物の品質も悪い。
――JAが大量の農薬や肥料を農家に買わせている実態はありませんか。
神門 そういうJAにすべての罪を着せるという論調が巷で流行っていますが、実は、生産者の意欲の低下こそが問題の本質ではないでしょうか。
つまり、きちんと土づくりをしていいものをつくっても報われない。それよりも失敗するときはみんなで失敗したほうが補助金も出る。農家の気持ちが技術を磨こうという方向にいかない。マニュアル化された農業を生産者も求めてしまっている。消費者が生産者にインセンティブを与えていない中で、JAのせいだけにするのはどうかと思います。そういう構造から抜け切れていない限り、仮にJAをつぶしても他の組織が同じことをやりますよ。
――川下の問題は。
神門 消費者の舌が利かなくなったことです。味がわからなくなってしまって、話題性で農産物を買う。堆肥の使い方を間違えた粗雑な農産物でも、有機というラベルや農家の顔写真を貼れば高く売れる。まじめに耕作技術を磨き、おいしいものをつくっても、消費者の舌が愚鈍になっているので評価してもらえない。いまの日本農業は、低農薬だ、地産地消だ、農ギャルだと、能書きや話題性で勝負する時代になっています。未熟な耕作技術を宣伝力・演出力で粉飾している状態です。
農業や食料に関心があると自負する消費者はしばしば「曲がっているキュウリでも有機農業なら安心」などと言ったりします。しかし、直売所などでは不健康に育ったがゆえに曲がってしまったキュウリが堂々と売られていることも少なくありません。
重りをつけて真っすぐにするのは間違っていますが、きちんと育てればキュウリなんて真っすぐなるんです。曲がったキュウリは肥料設計が悪いだけ。まずいに決まってますよ。消費者は能書きで信じ込まされ、自分の舌で判断しないんですからダメなんです。

マニュアル農業は気象変動にもろい

――福島原発の事故は農業にも深い影を落としていますね。
神門 放射能問題は深刻です。どれだけ汚染されているかではなく、汚染されているかもしれないということが、農家のやる気を失わせている。この先、東日本の農業は魂のない農業になるでしょう。企業の農業参入で機械化され、マニュアルでやる農業になる。残念ながらこれは止められない。量はとれても品質はよくない。そして気象変動にもろい。これは確定的です。
――企業の農業への参入や農商工連携は時代の趨勢のようにも感じますが。
神門 いま耕畜連携とか、農商工連携でもそうですが、たいてい「連携」と名前がついたとき、その実は「分離」です。耕畜連携とは、コメや野菜を生産している耕種農家が転作田などで飼料作物を生産して畜産農家へ供給し、逆に畜産農家は堆肥を耕種農家に供給する連携のことです。
しかし、もともと日本の農家はいちいち耕畜連携なぞと言われなくても、家畜を自家飼育し、家畜の糞尿を自家で堆肥にして自家の畑に使っていました。ところが、耕畜連携の名のもとに大型の公営の堆肥センターが建設されるものだから、いまの畜産農家は、家畜の多頭飼育に専業化し、自分では堆肥も野菜もつくらない。畜産と耕種は分離され、しかも堆肥センターは糞尿の臭いを消しただけの不出来な堆肥しかつくれない。
農商工連携も農切りになります。商工の論理は農の論理ではありません。そもそも機械の稼働率を維持しないと工業は成り立たない。では農業を機械の稼働率に合わせるのか。だから農商工連携で加工場をつくったけれども、原料が不足するので他所からもってくるというのがオチです。
――北海道農業に何を期待しますか。
神門 農業の発展は量ではなく耕作技術です。北海道の稲作を考えてください。作付面積で見ても、収穫量で見ても、最盛期の半分に減っています。でも北海道の稲作は「衰退した」とは言わない。むしろ発展した。20年前、30年前は、北海道のコメなんて食えるかと言われていたのが「ゆめぴりか」「ふっくりんこ」「おぼろづき」など、北海道のコメこそおいしいと言われるようになりました。
しかし、なぜか農業の話になると、人々の頭が変な回転をし始める。脱工業化の時代、普段は量ではなく質の時代だと言っているのに、農業の話になった途端輸出を増やせ、生産を増やせと言い始める。中身がないのに量だけ増やしても意味がない。
――電田プロジェクトについては。
神門 どうせ耕作放棄されて使われていないのはもったいないから、太陽光発電パネルを並べたほうがましという意見もあるかもしれません。しかし、そもそもなぜ耕作放棄されているのかを明らかにしなければ、ますます耕作放棄を引き起こしかねない。必要なのは農地行政の見直しです。

=ききて/鈴木正紀=