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Interview

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がんが恐ろしいのではない がんの治療が恐ろしいのだ掲載号:2014年4月

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近藤誠 慶應義塾大学医学部放射線科講師

1996年『患者よ、がんと闘うな』で〝がんもどき理論〟を展開、医療界に大きな波紋を投げかけた慶應義塾大学医学部放射線科講師の近藤誠氏。医師として40年以上のキャリアを持つ近藤氏は、3月末で慶大を定年退職する。日本人の死因の第1位であるがんとの向き合い方を、定年を目前にひかえた近藤氏にあらためて聞いた。

のらりくらりとかわした学内の反発

――3月末で慶應義塾大学を65歳の定年退職ですね。
近藤 中等部から慶應義塾だから53年間、慶應にいたことになります。医者になって41年。その間、留学や他の病院に出たこともあったけれど、籍は慶應に置いていた。純粋培養だね。
――感慨深いものは。
近藤 あまりないな。僕は後ろを振り返らないことにしているからね。辞めたらもう少し時間が自由に使えて、楽しいんじゃないかと思っている。
――ご実家は開業医でしたね。継ごうとは。
近藤 親からは、ずっと継げと言われていましたよ。でも開業医って、子ども心にも面白くなさそうだった。四六時中、家にいる。世間が狭いような気がしてね。なにせ自分より偉い人はいないわけ。そうすると人との付き合い方を見習えない。人に頭を下げられないと困るでしょう。だから進路を決めるときに大学に残って医者をやるのがいいかなと。
――朝4時から病院に来ていると聞きました。
近藤 6時くらいに来ている時代もあったけど、だんだん早くなってしまって。今朝は3時半だったかな。朝がはかどるんですよ。誰もいないしね。
i2――海外の文献を読む。
近藤 読んだり書いたり。以前は学内の図書館に日に何回も通っていたけれど、最近は便利になって、ほとんどの論文や海外の医学雑誌などがコンピューターでダウンロードできる。A4用紙が500枚くらい、あっという間になくなる。
――ものすごい勉強量になりますね。そういう生活を何十年も続けてきた。
近藤 そうなりますね。
――放射線専門医を返上されたとか。
近藤 放射線科にいて碌を食んでいるんだから仕方ないんだけど、どうしても僕の発言は放射線科寄りのように見られてしまうんだね。がん患者の生活の質を保ちながら長寿を達成させるためにどうしたらいいか。そのためには臓器を残したほうがいい。臓器を取らない放射線は有力な手段だから発言していたんだけれども、それを我田引水と思われるのは、僕としては面白くないわけだよ。
――がんに関する発言で最初に脚光を浴びたのは、1988年に『文藝春秋』に発表した「乳がんは切らずに治る」でしょうか。
近藤 その前の年に廣済堂出版から『がん最前線に異状あり―偽りのときに終りを』という本を出しています。主張は、いまとだいたい同じことです。
――当時、学内ではどんな反響がありましたか。
近藤 周りは敵ばかりで大変だっただろうと、みなさん想像するようですが、そういうことは一切ないんですよ。外科や婦人科の教授が僕に直接、文句を言ってきたことはない。まず僕の上司である放射線科の教授に言ってくる。それをのらりくらりとかわしていれば、後は無風状態。一度だけ医学部長から呼び出しがあって「このままいったら万年講師だぞ」と。
――近藤さんが講師になったのは83年。実際30年、講師のままでした。
近藤 僕はものごとを始めるとき、徹底的にシミュレーションする。最悪のケースも予想しつつやっているわけ。それを呼び出して「万年講師だぞ」って脅したって意味のないことです。
――その後も何もない。
近藤 もう1回だけあった。92年に「がん検診、百害あって一利なし」という論文を出したら教授会がもめた。全員じゃないけれど、かなりの教授が「近藤はけしからん」と。放射線科の教授に、近藤を辞めさせろとか、圧力をかけろとか言ったらしい。それものらりくらりとかわしてきた。
――かわせるものですか。
近藤 結局、僕が辞めると言わない限り、辞めさせることはできない。学問の自由で守られているからね。
――干されたことは。
近藤 干すといっても診療をやめさせるわけにもいかない。患者がこなきゃ別だけど、逆に増えたからね。大学も、そんなことで患者に迷惑はかけられない。とくに乳がんの患者。一時期は日本の乳がん患者の1%が来ましたよ。
――1%といっても想像がつきません。
近藤 年間2?300人かな。でもそれは治療した人の数。意見を言ったのはその何倍にもなる。
――ほかに嫌がらせは。
近藤 いままで出ていた会議に出るなとか。そうするとこっちは時間ができて逆にうれしいなって(笑)。どこの大学も、昇進させてあげるよ、地位をプロモートしてあげるよということで統制がとれているわけだけど、そこに関心がない人間は自由に振る舞える。
――味方は。
近藤 がん治療の世界ではいません。僕は、ほとんどのがん治療に反対しているか、縮小を主張している。それに同調してしまうと、外科にしろ抗がん剤にしろ、がん治療をやめなければいけなくなる。ただドロップアウトしている人は結構いて、そういう人は放射線科に来たり、緩和ケアに行ったり。医者全般を見れば、僕に共鳴してくれる人は増えていると思います。

がんの治療が苦痛の原因になる

――医学界で常識とされていることに対して反対論を述べるのは、かなり勇気がいりますよね。
近藤 肝心なのは間違えないこと。100の論点があって1つ間違う。はたから見れば99はあっているんだからほぼパーフェクトだけど、反対論者はその1つの間違いを追及し、全部が間違っているかのように攻めてくる。それは予想できるところ。とにかく隙をつくらないためには知識量と経験を増やすしかない。データの読み方を正確にして、きちんとした論理を組み立てる。それを臨床の場で当てはめる。その作業がまず膨大。そうやって費やしてきた時間というのは、これまでに10万時間くらいあるわけ。『患者よ、がんと闘うな』を発表した96年頃というのは、やはりいまより自信がない。常に自分の言っていることを振り返って、本当に穴はないんだろうかと自問自答する。それで正しいと思うから発言するんだけど、間違っていたらという気持ちが一番苦しい。だから余計に勉強しようという気になってきました。
――近藤さんの主張は「がんは原則として放置したほうがいい」「抗がん剤は効かない」「健康診断は百害あって一利なし」ということに集約されると思いますが、とくに日本のがん治療について、おかしいと気づいたのはいつ頃ですか。
近藤 講師になってから。最初は乳がんで発言を始めたんだけど、そのうちいろいろ勉強の対象を広げていくと、だんだん発言する領域が広くなっていった。ある面で運がいいというかな。研修医のときに気づいてしまうと医者を辞めるしかなかったかもしれない。助手のときは、いまの半分も気づいていない。身分が講師になって、その肩書で発言することができた。
――近藤さんに続く人は出てきません。
近藤 それはしょうがない。さっきも言った昇進問題のような構造があるから。結局、わかっている人と医学を盲信している人がいると思う。僕もずいぶん臨床の場で失敗して、その経験や知識にのっとって、手術がダメだ、抗がん剤はいけないと発言しています。薄々気づいている臨床医は結構いると思う。
――そもそもがんのメカニズムは、まだはっきりと解明されていないのでは。
近藤 これまではよくわかってこなかった。いまはだいぶわかってきて、遺伝子の病気だということがはっきりしてきています。
――がんは老化現象ととらえられませんか。
近藤 遺伝子の病気だから、いきなり老化だというとちょっと無理がある。若い人のがんもあるからね。生まれつき遺伝子に異常があって、がんになる人も一定程度いる。ただそれ以外の人は、遺伝子変異がそれぞれの細胞の中に蓄積していって、がんになる。遺伝子の異常は生きていることによって増えていきます。たとえば自然放射線、タバコの受動喫煙等々。だから対人口数のがん発生数は年齢が高くなるにつれて上がる。そういう意味では老化現象といえると思います。
――昔の人はがんで死んでいた人が多いわけですよね。でもいまは、がんは恐ろしい病気なんだと患者は思っています。
近藤 がんが恐ろしいのではなく、がんの治療が苦痛の原因です。そこを医者たちがすり替えて、がんが恐いんだということになっている。
――患者のほうが丸め込まれている。
近藤 患者は知識がないから仕方ない。たとえば食道がんなんか、手術ができるようになったら、最初は9割以上が死んでいた。2012年12月、57歳という若さで亡くなった歌舞伎役者の中村勘三郎さんを見たって、最後のほうは苦しそうだった。みんな、がんはこんなに苦しいんだって錯覚するけど実は違う。手術を受けなければ間違いなくいまも生きている。そして、そんなに苦しまずに枯れるように亡くなれるということがある。
――それを医学界は言ってはまずい。
近藤 ネタバレになるから、実際にがん治療をやっている人は口が裂けても言わないよね。手術で死んだとか、抗がん剤で死んだ人はいないことになっている。みんな、がんで死んだと言うから。

自覚症状なければがん診断は忘れる

――4月からは。
近藤 昨年4月から「セカンドオピニオン外来」を東京・渋谷区に開設し、そちらでの仕事がメーンになります。まだ1年弱ですが、これまでに来院者は1800人。北海道からも海外からも来ます。セカンドオピニオンといっても、現状は〝金太郎飴オピニオン〟というか、どこへ行っても同じになってしまう。こういう症状、こういう進行度のときはこうしましょうというガイドラインがあって、 それが広く医者の間に行き渡っています。それを見ながら答えるから、どこへ行っても同じ結果になる。欧米でも日本と似たような治療がおこなわれている。
――セカンドオピニオンの意味をなしていない。
近藤 そもそも慶應病院でセカンドオピニオン外来をやっていたようなものでした。僕は具体的に治療をやるなとは言わない。この治療をやったらこうですよとか、こっちの治療はこうなります、あるいはやらないとこうなるというのを説明して、患者さんが選べるようにしています。
――最後に、健診などでがんと診断された人にアドバイスを。
近藤 僕が、がんと診断された人に言っている3原則というのがあります。いま生活の質を悪くする自覚症状がないならがんという診断を忘れる、もう検査を受けない、医者に近づかない。そうすると普通の人と同じくらい長生きできる可能性が大きいですよと言っています。がんと診断されても、ご飯がおいしくて体調がいいときに発見されたものは、ほとんどが〝がんもどき〟です。そういうものは治療を受けないほうが長生きします。医者の言いなりにならないというのが大事なことです。

=ききて/鈴木正紀=