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Interview

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「消費者論理に基づくサービスの追求が商売の常道!!」掲載号:2009年6月

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清水 信次 ライフコーポレーション会長兼CEO <日本スーパーマーケット協会会長>

(しみず・のぶつぐ)1926年4月18日生まれ。三重県津市出身。43年旧制大阪貿易語学校卒。45年清水商店設立。71年ライフストアに社名変更。82年ライフコーポレーションに社名変更後、会長に就任し、現在に至る。日本スーパーマーケット協会会長、日本チェーンストア協会副会長、日韓協力委員会副会長などを務める。

ライフは首都圏、関西圏に204店舗を展開、今年2月期の売上高は4630億円、経常利益110億円を計上する日本一の食品スーパーだ。売上税阻止運動でも名をはせた創業者の清水信次会長は、現在も日本スーパーマーケット協会会長を務めるなど、流通業界を牽引する。清水会長に経営哲学を聞いた。

九死に一生を得て「ライフ」を創設

――――生い立ちを教えて下さい。
清水 僕は1926年、三重県津市で6人兄弟の次男坊として生まれました。祖父がタオルなどを製造す る「清水合名会社」を興し、私が幼かったころは第1次大戦後の好況もあり、景気がよかった。しかし、関東大震災による不況を契機に経営は傾きはじめ、世界 恐慌のあおりを受けて、倒産しました。それで津から大阪の天満に移り、父はそこで食料品店「清水商店」をはじめました。ただ、倒産したときの借金があった ので、貧乏でした。
僕は「大人になったら、こんな生活はしない」と心に誓い、「世界を相手に大きな商売をしてやろう」と大阪貿易学校に進みました。当時は中国東北部に満州 国ができたころで、同校で中国語を学び、満州の建国大学に入って、大陸でひと旗揚げようと思ったのです。しかし、学校に入って打ち込んだのは語学でなく剣 道。進路志望も商売から軍人に変わっていました。
それで海軍兵学校を受けたのですが、不合格。学校に行かなければ召集され、一兵卒として戦場に向かわされます。敗戦の色濃い情勢の中で、戦場にかり出さ れ、犬死にしたらたまらない。軍国少年でしたが、家を再興して両親にまともな暮らしをさせなければいけないと思っていたので、おいそれと死ぬわけにはいか なかったのです。
次に選んだのが陸軍特別幹部候補生。特攻隊幹部を養成する学校で、僕は2期生で、兵科は鉄道でした。死ぬ確率が最も低いと考えて鉄道を選んだのです。
任務に就いたのは、本土決戦が叫ばれていたころ。僕らに下された命令は海岸にタコつぼを掘り、地雷を抱えて待ち構え、上陸してくる敵戦車に特攻するとい うものです。「まずいことになった」と思いましたが、敵が上陸してこないまま8月15日を迎え、図らずも九死に一生を得たわけです。
――――その後は?
清水 最初にやったのは、商社のまねごとです。復員してきたら、家族は疎開先でひもじい思いをしてい た。住んでた場所も養蚕所で、「オレが何とかしなければならない」と。除隊時に渡された現金200円と、軍から持ってきた毛布や飯ごうなどの備品一式を 持って食料調達に出かけたわけです。だけど、汽車に乗ったり食べたりして、現金はみるみるなくなっていく。それで持っていた備品を売って軍資金にした。物 のない時代でしたから、売れば高値で売れた。このときは数百円になりました。特に食べ物は高く売れる。これは商売になると、その売り上げを元手に農村や漁 村にコメや野菜、魚を買い付けに行き、それを闇市などで売ったんです。
そうやって3万円をため、空襲で焼けてなくなっていた清水商店を大阪に再興した。するとしばらくして、財閥解体でほとんど活動していなかった三井、三 菱、伊藤忠などが復興してきた。商社の土俵で彼らと戦っても勝てないと思い、次に何をやろうかと考えていたとき、占領軍のPX(基地購買部)を見て思いつ いたのが“スーパー”でした。
それまで扱ってきたのが食品だったから、商品は食品に特化した。そうしたら伊藤雅俊さん(イトーヨーカ堂創業者)や中内功さん(ダイエー創業者)が総合 スーパーを始めて…あの人たちは、薬屋とか衣料品から始めているから大きくなった。食品というのは売れるには売れるけど利幅が少なく、衣類や日用雑貨ほど にはもうからない。だからあんまり大きくならない。でも、堅実なんですよ。
そうして地道に事業を拡大していき、今日に至ったというわけです。

“人材”ではなく“人財”が正しい

――――御社は日本一の食品スーパーですが、そうなった秘けつは何ですか。
清水 秘けつなど、ありません。商品を含めサービスを追求していくしかない。まず大事なのは、お客さ まの身になって、どういう商品がいいのか考えること。商品がいいことが最も重要商品がいいことが最も重要です。例えば生鮮食品。魚、野菜・果物、肉といっ た生鮮3品に総菜。これはおいしくなければいけない。見栄えもよくなきゃいけない。それで値段もそこそこ。大衆価格でなきゃだめです。
それから気持ちのいい接客です。レジでお客さまをお待たせするなんて最悪ですよ。並んでも1人か2人まで、それ以上長いと嫌になってきます。それから、 買ったものを遠い駐車場まで持ってくのも嫌でしょう。お店をキレイにするとか、お客さまに聞かれたら親切に返事をするとか、商品のある場所まで案内すると か、地味だけど一つひとつ細かいことを一生懸命にやることです。そういうことに気を使って、お客さまの身になって、どこまで、サービスできるかが肝心で す。
難しいのは、企業というものは大概、売る方の論理でものを考えるわけです。それが間違いのもと。売る方の論理でやると、それは絶対にお客さまに受けない。
――――サービス以外では。
清水 それと同じくらいに大事なのは働いている人たちです。パートも正社員も、経営者と同じか、それに 近い気持ちになって、商品やお客さまに接しなきゃだめです。会長だ社長だ専務だって威張って、上から目線で従業員を使うようであれば成功しない。“人材” という言葉がありますが、僕は“人財”と書くのが正しいと思っています。人は財産です。いま、従業員のクビをボンボン切っている企業が幾つもあります。正 社員であろうが臨時の従業員だろうが、経営者の論理で「工場閉めろ」「生産減らせ」と言っていきなりクビを切る。揚げ句に2、3日のうちに住んでいるとこ ろまで追い出す。そんな考え方の経営者はけしからんね。
ライフは、僕がゼロから始めた。戦争が終わって、軍服着たまま200円だけもらって帰ってきて、その男が東京、大阪で204店舗のチェーンをつくった。 お客さまが1日に60万人も70万人もお見えになって買い物していただいて、喜んでいただいてる。それが僕にとっては最高の喜びです。
みなさん、逆なんですよ。もうけようとか、そういうことばかり考えてる。おカネもお客さまも、追いかければ逃げていきます。自然に集まってくるようにし なきゃだめなんです。何でみんな、それが分からないのかな。いろいろ欲張って、地位が欲しい、名誉が欲しい、おカネが欲しいって。
だから、僕はいつも言うんですよ、「まず、己を知りなさい。己の器量を。次は足(たる)を知りなさい。これぐらいで十分とわきまえなさい」と。そして、 これが一番大事なのですが、ものには必ず終わりがある。終わるときには何にも持って行けない。いくら欲張ったって、あの世に行くときは魂一つなんです。
――――北海道へ進出する考えはないのですか。
清水 ありません。首都圏と阪神で十分です。それに北海道には横山清さん(アークス社長)も大見英明さん(コープさっぽろ理事長)もいるんだから。それはもう立派なもんですよ、このお2人は。僕なんかが出る幕はありません。
僕は常々言っているんですよ。「北海道は日本にとって大事な土地なんだから、もっとカネかけて観光でも産業でも開発するべきだ」と。海外に工場つくるくらいなら、北海道につくるべきです。こうしたことは、今後も声を大にして言っていきたい。

=ききて/坂井=