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Interview

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「年末は2人で紅白に出場する」掲載号:2015年10月

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細川たかし×杜このみ 

 今年芸道40年を迎えた細川たかしさんに、ふる里・真狩村の生家跡で話を聞いた。2年前にデビューした弟子・杜このみさんとの初の師弟対談。細川さんは「年末には2人で紅白に出場したい」と夢を語った。

何もないところが真狩村の魅力

――(細川さんが)地元・真狩村に帰られるのは久しぶりですか。
細川 いとこや同級生がこの村にいますので、意外とちょくちょく帰っています。でも、自分の生まれた場所に帰ってくるのは、いつ来てもいいものですね。
――真狩村の魅力とは?
細川 何もないところでしょう!!
 (笑)
細川 本当にそれがいいんですよ。逆を言えば、自然に囲まれているということですから。
 確かに大声で歌っても、誰にも迷惑をかけないですもんね。このような雄大な場所で、師匠の発声、声量が培われたんですね。
――幼いころの思い出は。
細川 とにかく畑仕事ですね。ジャガイモばかり掘っていました。あとは通っていた中学校がここから4㌔離れたところにあるのですが、夏は自転車、冬は歩いて登校していました。足腰は相当、鍛えられましたよ。それも歌手・細川たかしの原点になっていますかね。あっ、村の魅力はもう1つありました。
いま、真狩村の人口は約2100人です。少ないですよね。そのため、普段見かけない人がいたら、すぐに村民はわかります。ですから、家で鍵をかけなくても大丈夫。泥棒が出ない村です!
2人 (爆笑)
 それだけ治安がいいということなんですね。
細川 いや、持っていくものがない!このみ、漫才をやっているんじゃないんだから……(笑)
でもね、そのくらいのんびりした村なんですよ。
 いい環境なんですね。
――本日(取材日8月22日)、生家跡に記念碑が建立されました。
細川 おかげさまで今年芸道40年という節目を迎えることができました。
これを機に何か記念に残るモノをということで、地元後援会や親戚一同、村の関係者ら、多くの方々の協力で、立派なものを建てることができました。大変感謝しております。
今回、記念碑をつくることになったのは、いま、僕が座っているこの地、自分が生まれたこの場所をやはり大事にしたいと。
それと、僕のふる里は真狩村であるということをたくさんの方に知っていただいていると思いますので、大切にしたいと考えたからです。
記念碑の一番上の石は、四国・香川県の〝日本一の石〟とも呼ばれる庵治石でできています。
「芸道一代 細川たかし生地」と彫られた文字は、あまりうまくありませんが、私が心をこめて書きました。
土台やこの土地に敷き詰めた石は、京極町で石屋をやっている親戚から協力してもらいました。
地震がきても大丈夫なように、びっしり石を敷いて基礎をしっかりさせました。100年、200年は大丈夫でしょう。
――細川さんにとって、これまでの歌手人生はどのような40年でしたか。
細川 1975年の「心のこり」がデビュー曲でしたからね。いま振り返ると、スッときたというか、早いもんですよ。
その中でも、真狩村、道民の方々にはいつも温かい声をいただいてきました。
真狩村は今年でちょうど開基120年。私と同じで節目を迎えました。どうして私をこの村に〝誕生〟させたのか。札幌の都会でもよいはずだったのに。そんなことを思うと、やはり何かしらの縁を感じますね。
何もないところですが、この村を誇りに思っています。歌手になってからの40年間、全国の人に村を知ってもらおうと、さまざまな場面でPRしてきました。

演歌は人の心を打たないといけない

――お二人がこのように対談の取材を受けるのは初めてですか。
細川 初めてだね。
 そうですよね。
細川 このみはまだ26歳で、年齢も若いですから、頑張ってもらいたいと思います。期待しています。
 あらためてそのように言っていただけると、ありがたいです。
――細川さんからみた杜さんの魅力はどこですか。
細川 やはり小さいころから民謡をきちんとやっていますから、歌うということの基本ができています。
僕も民謡・三橋流の名取ですが、彼女には「三橋このみ」という名前を名乗ることを許しました。民謡も大事にしながら頑張っていってもらいたいです。
――杜さんはデビュー3年目になります。
 まだまだ新人ですが、真っすぐに音楽の道というものに、向き合うことができているので、日々充実しています。
杜このみという名前を聞くと「民謡も歌える」と認識してもらえるような演歌歌手になっていきたいと考えています。
2月4日にサードシングル「追分みなと」をリリースさせていただきました。民謡のような世界感、温かさを感じてもらえるような曲になっています。
7月8日には、いろんな世代の方に民謡を聞いてもらいたいということで「江差追分」が収録された「追分みなと(民謡盤)」も発売させていただきました。
――細川さんは8月19日に芸道40年記念曲「北岳」をリリースしました。
細川 このみの曲をたくさんの人に聞いてもらいたいので、僕のは南アルプスを代表する北岳をテーマにした曲が出たというくらいで、大丈夫です(笑)
――演歌はひと昔前、どの世代も聞いていました。いまの若者はなかなか触れる機会がないのかなと思いますが。
細川 そうだね。だからこそ、このみの歌で「演歌って、いいものなんだ」と思ってもらえたらと感じています。
 民謡もそうですが、演歌はどうしても古臭いイメージがあるかもしれません。それを取り払えるような発信をしていきたいです。やっぱり10代、20代、30代にも私の歌を口ずさんでもらえるようになりたいと思っています。
――細川さんはいまも杜さんに稽古を。
細川 ええ。東京では一緒に食事などに行ったあと、自分の歌はもちろん、美空ひばりさん、都はるみさん、石川さゆりさんなど、いろいろな人の曲で稽古をつけています。
このみは民謡をやっていた分、こぶしが回りすぎるところがあります。演歌は感情を入れて歌うことが重要です。
 感情を入れるというのが、演歌と民謡の1番の違いですね。これからの課題は演歌歌手として、もっともっと表現力を身につけていくことなのかなと感じています。
細川 演歌は言葉が特に大事なんですよ。詞の内容を解釈して、情感をどのように伝えるかが一番難しい。
演歌は人の心を打たないといけない。このみの歌はまだその部分が足りない。
このみに限らず、この部分は若い歌手がよく、ぶち当たる大きな壁じゃないですか。ここをクリアしないと一流にはなれないですよ。
このみはまだ3曲しか出していません。いろいろな曲調に挑戦させていけば、力もついてくると思います。デビュー前も含めて7年間修業させていますが、まだまだこれからです。

紅白に出た北海道の女性演歌歌手は

――歌手・細川たかしのこれからについてお聞きできますか。
細川 今年65歳になりました。あと10年歌うと、芸道50年で75歳になります。目標としては、そこまでは頑張りたいと考えています。75歳まで頑張ったら、次は85歳まで。そこまでいけるでしょうかね。
ファンのみなさんには歌手・細川たかしをここまで大事にしていただき、ありがとうございます。これからも声の続く限り、大好きな歌をみなさんに届けていきたいと思っています。
欲を言えば、次の10年までに、ヒット曲が生まれたらありがたいですね。
あとは、何と言っても、ここまでこられたのは真狩村のおかげだと思っています。これからも村のために歌い続けていきたいです。
――杜さんはいかがですか。
 デビューからの2年間は、本当に師匠とファンのみなさんに支えてもらいました。これからはその恩返しをしていけるように、がんばっていきたいです。
細川 演歌界で北海道を代表する歌手としては、北島(三郎)の御大はいらっしゃいますが、その後、NHKの紅白にも出ているといったら、僕くらいしかいないんですよ。
女性の演歌歌手に限れば、紅白に出た人は長い間、いません。ソロでは畠山みどりさん、藤圭子さんくらいではないでしょうか。あとはこまどり姉妹さんですね。
そのため、逆を言えば、このみは北海道のこれからを背負う女性歌手になれる可能性があります。
今年か来年か、チャンスがあれば、師匠と弟子で、紅白に出場できたらと思っています。2人で「目指せ、紅白!!」。
 はい。目標です!
細川 しかし、中途半端に1回とかではなくて、出る以上は回数を重ねられたらというのが本音です。そのためには、いい作品をいただいて、ヒット曲がなくてはなりません。
ですから、道民のみなさんには何とか温かい声援を送っていただけたらうれしいです。一つよろしくお願いいたします。そうすれば、年末にはいいことが待っているのかなと思っています。

=ききて/竹内=